キロちゃんのケアル - 4/5

キロちゃんとウォード

 

 この図体から、力仕事において頼りにされることはよくある。それはいい。体格に見合った腕力はあるし、小柄な人間よりも安全に、楽に仕事をこなす自信はある。
 だが二十年前と今で同じだけのことができるかといえば、それはまた別の話だ。ウォードおじちゃんは力持ち、という可愛らしくも残酷な先入観により十人以上の子どもたちに一斉に飛びかかられたり、イベントの後片付けで大きな道具を倉庫に運び入れる手伝いをしたりしていれば、長年の間に少しずつ軋み始めた体が悲鳴を上げるのも無理のないことだった。
 要するに、腰が痛い。
 なんでもないふりをして家を出た。家族に……特にまだ幼い末娘の前で痛がったりすれば、昨晩お馬さんごっこを執拗に迫った自分のせいだと気を病ませるからだ(しかしあれはしんどかった)。そしてしばらく歩いたところで、どんよりとした疲れとともに、腰の重さが気になってきた。周りに人の気配がないのを確かめてから、手を添えてぎこちなく体を反らしてみる。実にじじむさい仕草で、声が出ていれば「イテテテ」とでも唸っていたところだ。

「また腰を痛めたのかい」

 わあびっくりした! 誰もいなかったはずなのに、いつのまにか頭ひとつ低いところから、よく見知った顔が見上げている。この古い友人は、かつて特殊な部隊にいたこともあってか、気配というものがトコトン薄いのだ。普段から足音もほぼ立てないし、ふと気づいたときにはいなくなっている。かと思えばこんなふうに急に登場することも多く、いたいけな俺の心臓をいじめることにかけて、右に出る者はいない。

「あんたのことだから、また子どもたちの無理を聞いて、飛行機ごっこのフルコースをしたんだろう」
『あんな期待に満ちた目をされて断れるものか』
「素直に腰が痛いと言えばいいのに」
『年寄りみたいで恥ずかしいだろ』

 おまえにはわかるまい。この年になってみれば二歳の差なんて誤差みたいなもののはずなのに、二歳どころか十二歳は年下に見られるのが、このキロス・シーゲルという男だ。俺もラグナもそこそこくたびれたオッサンになってきていて、顔を合わせれば、ここが痛いこっちも痛いと痛い話ばかりしている。そこにこいつが音もなくやってきて、不思議そうな顔をしてその会話を聞いた後、「私には腰痛というものがないからよくわからないんだ」などと、どこぞの創作物の登場人物みたいな台詞を吐いて颯爽と去っていくのだった。
 くそっ、見てろよ。あと十年も経てばおまえだって腰痛に……ならないかもしれないなぁ、うん、ちゃんとトレーニング続けてるもんな。えらいな。俺なんか、あれだけ張りのあったもろもろの筋肉が、ところどころ夏の日のマシュマロみたいになってるもんな。

「しょうがないな……ほら、ここに横になるんだ」

 キロスは近くの休憩スペースにベンチを見つけ、手招きしてきた。願ってもない。俺はほいほいついていって、いそいそとうつ伏せに寝転がった。見かけによらずこいつには治癒魔法の適性があり、戦場や旅の途中、またエスタに来てからも、怪我を負うたび何度も世話になってきたのだ。クールそうに見えて情にあつく、気遣いもできる。さっきは脳内で文句を言って悪かった。おまえは最高の友人だ。本当にそう思う。
 これでこの痛みともおさらばだ。冷たい魔法のエネルギーを今か今かと健気に待ち望んでいたというのに、いざやってきたのは、ぐっと腰に食い込む手のひらの感触だった。

『…………』
「…………」
『なあ』

 体を捩り、片手で呼びかける。

「なんだい」
『何してるんだ?』
「なにって、マッサージだけど?」
『ケアルしてくれよ』
「なぜ? いやだよ」

 ぴしゃりと言われた。傷ついた。俺はとても傷ついた。情にあつくて気遣いもできるのがキロス・シーゲル、おまえだろう。ここはやさしく撫でながらケアルじゃないのか。ピザ生地を捏ねるみたいな力加減でぎゅうぎゅう押すところじゃないはずだ。

『聞いたぞ……足を挫いたスコールのことは癒やしてやったそうだな』
「エスタでの負傷でSeeDの任務に支障が出たらまずいだろう」
『エルオーネの火傷も』
「女の子は怪我をしてはいけない」
『あの酔っ払いを介抱してやったとか!』
「子どもたちの前で緊張して酒に走るしかなかったんだよ、可哀想じゃないか」
『なあ、それと俺のこの状況になんの違いがある? ちびっ子たちのための名誉の負傷だぞ?』
「あんたのは断れるものを断らなかっただけだ」

 横暴だ、贔屓だ。あいつらのことは甘やかすくせに、俺にばっかりこの仕打ち。
 出会ったころから、こいつにはこういうところがあった。ラグナの言うことはよく聞いたが、俺の言うことは聞かない。ラグナの話し相手はよくするのに、俺と二人きりになるとごろっと寝転がって雑誌を読み始めたりする。先輩だぞ、と凄みを出してみても、「はいはい」とか適当な返事をして聞く耳をもたないのだ。
 その態度の違いにハンカチ噛んで枕を涙で濡らした日があるようなないような。気を許してくれているからと思えなくもないし、野生のチーターが腹を見せてごろごろしていたと思えば、まあ愛いやつとも言えなくもないかもしれない。
 しかめっ面の俺を見て、キロスは笑いながら、ぽんと腰を叩いてきた。

「意地悪で言ってるわけじゃない。ケアルは急性期の痛みに効果があるものだから、あんたみたいな慢性的な痛みには効き目が薄いんだよ。一般講習を覚えてないのか」
『そんな太古の話は忘れたよ』
「一応、真心込めて手当てしているつもりなんだがね」
『一応とはなんだ、一応とは』
「なんとなく」

 つれない態度は相変わらずだ。だがその指先が、魔法のようにやさしいことは知っている。しばし身を任せ、そのうち申し訳なくなって、もういいなんて言ってみたりもした。返事はやっぱり、「少し黙っていてくれないか」、だった。
 衛生兵としての技能を持ちながら、その役割にはまったく興味を持っていないと言っていた。本当だろうか。俺には、持つべき者に持つべき能力が備わったように思える。それは魔法に適性があるというだけの話ではなくて、仲間たちに尽くそうという、その心持ち。
 しつこいかな、でも正しいことだから、もう一回言おう。キロス・シーゲル、おまえは最高の友人だ。

 ──余談だが、マッサージはすこぶるよく効いた。開業できると思う。してくれ、頼むから。