たまたま通りがかった村の住人から頼まれごとをしたのは、二日ほど前のことだ。自分で言うのもなんだが、この中で一番声をかけやすいのは間違いなくオレだろうし、社交的で親切に見えるのもオレだろう。だけど本当のオレは、さほどやさしい男じゃない。少なくとも縁なき人から義理のないお願いをされて、大事な旅を淀ませるなんてことはしない。自分の都合で寄り道はしても、見知らぬ誰かのために時間を費やさない。淡白な自分を笑顔の言葉で覆い隠している、それがオレだ。
キロスはオレよりも情が深いし、人を気遣うけれど、誰にもってわけじゃない。縁ある人間とその他との分別はオレより厳しいくらいだ。オレが足を止めかけたシーンでも、あいつが自ら留まろうとしたことはなかった。
みんな困ってるからとオレたちを呼び止めるのは、いつだってウォードだ。一見すると近寄りがたい大男は、まっとうで、繊細で、慈しみがあった。自分を見て泣いた少女におろおろして、持ち物をひっくり返して小さなお菓子を握らせた……あれからウォードのポーチは、子どもが目を輝かせるようなカラフルな菓子でパンパンに膨れている。
トラブルを抱える人たちは、助けてくれる相手を本能的に感じ取るものだ。はじめはその外見に物怖じしても、声の代わりにあらゆる方法で共感を示すウォードに、誰もが心を許してゆく。しかしこの村の連中はそういうプロセスを踏まずに近づいて来た時点で、これまでとは少々異質だった。
「でもさ、なんかピンとこねえよな」
成り行きで小さな集会堂の飾り付けを手伝いながら、ツリーのオーナメントの配置を考え込むキロスに語りかけた。イベントの類はどんなものでも楽しむオレが、唯一居場所に迷う時期だ。本質的な意味で、オレの戸惑いを見抜くのはこいつ以外にいないだろう。
「クリスマスが? いや……サンタクロースだな」
田舎の村のツリーは野暮ったいほど立派で、オーナメントも前時代的なデザインだ。それらをどうしても都会的に飾り付けたいらしく、戦闘でも見せないような真剣な横顔だった。自身のファッションについての能力はいまいち発揮されないようだが、こいつのヴィジュアルに関するセンスは群を抜いている。軍にいたころは、他の班の連中から、しょっちゅう彼女へのプレゼント選びに付き合わされて辟易していた。
けばけばしい紫のステッキを諦め、箱の中から真珠色の雪の結晶を揃えながら、キロスは正確にオレの心中を指摘して返してきた。そういう洞察力はさすがとしかいえない。
「この世に存在しない老人がいると子どもたちを騙して、騒ぎを扇動する大人たちのエゴが嫌いなんだろう」
「そこまで言ってねえもん」
「夢を見ることは悪いこととは言えないんじゃないか?」
「なんも差し出さずに欲しいもんが降ってくるなんて、そんな都合のいい話、信じさせてなんになるんだ?」
「そんな都合の良い話も、一般的には起こり得るんだよ。見返りに何も差し出さない子どもを世話して愛情を注ぐ。何より原始的なギフトだ。あんたが納得できないのは、そういう時代を送らなかったからだ」
「おまえだって」
「短い時間でも、私にはギフトがあった。赤い服を着た老人が聖夜に訪ねてくることは一度もなかったけどね」
親の顔すら知らないオレと、貧しかったが早くに亡くした親を尊敬しているキロスでは、根本的な部分が違う。それはしばしば、ウォードに置いていかれるより痛烈なさびしさを、オレに与えることがあった。
「……妹のところには来たんだろ」
「二度ほど。三年目に言われたよ、無理しなくていいと」
「おまえのエゴだった」
「その通り。だから私は、あんたの気持ちが半分わかるし、大人たちの気持ちも半分わかる」
サンタクロースはオレのところに来なかった。その言い伝えを聞いて、一瞬、夢見たこともあった。祈れば伝わるという話を信じ、秘密を持ったようにそわそわして、かたく冷たい寝床で目を閉じた。未練がましく、隣の家の雪の積もる軒下まで探した。でも、サンタクロースは来なかった。
あのとき何を願ったのか、もう覚えてもいない。毛布だったのか、新しい靴だったか。食べ物だったかもしれない。指をくわえて眺めるばかりのクリスマスケーキ。信じた分、落胆は大きかった。とんでもないデマだと思った。たぶん大人に憤りもした。浮かれた幸せな子どもたちにも。
「それで、あんたはどうしたいんだ? この茶番を終わらせたい? 子どもたちに真実を伝えるかい? そこにいるのは仮装したオレの友だちで、元軍人の元掃除夫だと」
いつの間にかオレに向かって、視線を合わせている。チョコレートの指からこぼれる銀色のモールが、やけに鮮やかで、印象的だ。
オレは首を振って答えた。
「まさか! 信じてるんなら、なんも壊したくねえよ。こんなときじゃなくたって、子どもが笑ってんのはいいことだろ」
「まったくだ」
「ほら、早く済ましちまおうぜ。のんびりしてっとみんな来ちまう」
それからオレたちは会場の準備を済ませ、お菓子の袋詰が間に合わないという婦人たちを手伝ってから、そそくさと集会堂から退散した。物陰から覗いてみれば、サンタクロースがクリスマスパーティーに来てくれると知って、子どもたちは大はしゃぎだ。
エスタとの国境付近。争いに疲れ、魔女の気配に怯える子どもたちに、せめてこのときだけはと乞うた村人たちの願いが報われるようだった。その日まで身を潜め、夜になったら速やかに旅立ってくれという身勝手な申し出に、ウォードは嫌な顔ひとつしなかったし、なぜ当たり前のことを確かめるんだとでも言い出しそうな具合だった。あのときは理解できなかったことが、今ならわかる気がする。エゴであれ、それがひとときの喜びに繋がるなら、その一瞬はいとおしい。
きっとウォードはうまくやるだろう。いつものように大きな体を屈め、きらめく瞳を覗き込んで、興奮のあまりうまく話せない子どもたちから上手に言葉を引き出してやれる。不思議なことに、ウォードの音なき声を子どもたちはよく聞く。まだハンドサインに不慣れなオレよりも、よっぽどうまく心を通わせるだろう。
日が暮れてまもなく、一人暮らしの老婆の家に匿われていたオレたちのところに、ウォードが帰ってきた。
「おつかれさま、パーティーはお開きかい?」
オレが読み取れるようにゆっくり、はっきりと、指先が言葉を紡いでいる。どういうわけか例の装束のままなので、髭に隠れて口の動きがよく見えない。たとえ声がなくても、唇の形や、舌の先の発する子音があるだけで、それなりに言葉は伝わるものだ。オレはそれに頼り切ってハンドサインを未だ覚えきれずにいるので、オレが相手のときウォードはこうして、一音ずつのサインを使っていた。
子どもたちは既に家に帰り、家族と温かな夜を過ごして、あくる朝のプレゼントを待つのだそうだ。夜にまた行くよと約束をして去ってきたというウォードに、オレは笑って言った。
「おまえ、そのカッコで出歩いたら目立つだろ。どっかで脱いできちまえばよかったのに」
「着替えているところを見つかったら夢を壊すだろう」
「あー、それもそうか」
やりあうオレたちをシッと息の音で促して、ウォードは萎みかけた白い袋を抱え、まずは老婆の元へと歩み寄った。腰が曲がり耳の遠くなった彼女の前に膝をついて、袋から取り出した贈り物を手に握らせる。感激した老婆が包みを開けると、しわくちゃの小さな手にぴったりと履ける、赤く可愛い手袋が入っていた。
気遣いに関心するオレたちに向け、指を立てて待ての指示をして、ウォードは再び袋の中に手を入れた。どうやらオレたちにも何かプレゼントがあるらしい。
「なんだなんだ、酒かな、酒だといいよな」
「潰れたあんたの面倒を見るのは遠慮したいものだね」
いい年した男友だちへの贈り物なんて、それくらいしか思いつかない。贈り物の苦手なオレだからかもしれない。少しばかりのむなしさは、どう見ても酒ではない包みを解いて箱の中身を取り出したとき、なんともいえない切なさに変わった。
オレの手の中にあったのは、呆れるほど古びた車のおもちゃだった。おもちゃ屋の倉庫に長年しまい込まれていたようで、若干変色しているところもある。鈍くくすんだその青いボディは、彼方にあった想い出を鮮烈に呼び戻した。そうだ……誰かが自慢していた、ピカピカの青い車のおもちゃ。発売されたばかりなのをパパが買ってくれたのだと。あんなもの腹の足しにもならないと鼻を鳴らして、ほんとうは、うらやましかった。
隣のキロスは、せいいっぱい虚勢を張った、どこか愛嬌のある恐竜のフィギュアを見下ろして困惑顔だ。
「もしやちっちゃな可愛いキロちゃんは、恐竜が好きだったの?」
「まあ……」
自分のイメージを崩すとでも思っているのか、もしくはウォードに見抜かれたことが気恥ずかしいのか。珍しく口籠って取り繕ってから、キロスは長い指の先で恐竜の鼻に触れた。
「もっと怖い顔をしていた気がする」
「どっちかってっと、チャーミング?」
「強いものの象徴だったんだよ。憧れていた」
「へえ……いいな」
幼い時代のキロスの望んでいたものは、この間抜けな恐竜そのものではなかったのかもしれない。オレがうらやんだのも、この車ではなかったかも。だけど確かにキロスは恐竜に憧れて、オレは車がほしかった。豊かで、誰かに愛される少年時代を求めていた。
柄にもなくしんみりするオレたちの頭を、いつまでも変わらない笑顔のウォードが、がしがしとかき混ぜた。オレたちもけっして小柄じゃないが、ウォードから見れば子どもみたいなものだ。きちんと編み込んで髪をケアしているキロスは少々迷惑そうだったけど、それも本心じゃないだろう。
ウォードの手は、雪の朝に涙をこらえて軒下を探し回ったオレの肩を叩き、サンタクロースはいないと知りながら、サンタクロースを信じさせたかったキロスを立派だと慰めた。クリスマスのファンタジーは、かたちを変えて、オレたちのそばに。
やさしさを注がれてきた人間は、やさしくなれる。まったくその通りだ。
「やべえ……惚れそう」
わざとしかめっ面のウォードを尻目に、キロスは歌うように軽やかに、いたずらっぽい微笑みも添えて、
「なんだ、今更かい?」
おわり