キロちゃんとエルオーネ
「あ……っつーい!」
思わず声を上げた。バカ、本当にバカ! 大慌てで水を流し、どんどん痛みを増して来る手のひらを冷やす。
ハンドルカバーをかけたつもりで、熱いスキレットの持ち手をそのまま握ってしまった。こんな初歩的なミス、今までしたことない。何事も急いで良いことなんてないのに、余裕があるからもう一品、もう一品……と思ううちに、いつの間にか時間が迫ってきた。だって、いつもは離れて暮らしているスコールが、せっかく遊びに来たのだもの。あんな顔してよく食べる、それなら出来る限りのご馳走は出してあげたいじゃないの。
別に痛みに弱いほうじゃないけど、さすがに泣きたくなってきた。自分の不注意にげんなりしたのと、こんなことで時間を取られているから。いいとこみせようとして、その結果がこれ? 笑っちゃうわ、バカみたい。
「エルオーネ、叫び声が聞こえたんだが……大丈夫かい」
しょんぼりしている私の背中に、やさしい声がかけられる。どう見たって忙しい人を、「暇だったら手伝って!」と強引に引き連れてきてしまったのだ。だって、他の誰かには我儘言えないんだもの。おじちゃんのこと、大好きだけど、大好きだからこそ、もうこれ以上心配かけたくない。おじちゃんの望む我儘を言いたい。だから、本当の我儘は言っちゃダメ。
子どものころのことを知っていて、偏屈な私の面倒くさい気持ちをよくわかってくれているから、私がどうしようもないお願いをするのはいつもキロさんばかり。だけど手伝いを頼んだって、パスタを三十分茹でるような人は調理の役には立たない。たぶん私は、ただ誰かと話していたいだけ。これを運んで、これをお皿に移して……そんなふうに、ちょっとした日常を通して誰かと繋がっていたい。キロさんは、何も言わずに願いを聞いてくれる。それをいいことに甘えている。
「ちょっとヤケドしちゃった。でも平気、冷やしとけばすぐ治るもん」
この感じでは水ぶくれになりそう。しばらくは手を開いたり握ったりすると痛むかもしれない。利き手だから不便だけど、明らかに自分の不注意だから仕方がない。残りの料理は諦めて、できたものだけ運ぼう。
「手を貸して」
「大丈夫だってば、あとで保護フィルムでも貼っとく」
「駄目だよ。痕になったら困るだろう」
水の中から助け出され、火傷の上に手を重ねられる。触れられたことによるピリッとした痛みは一瞬のことで、すぐに氷水を当てられたような心地よさに包まれ、解放されたときにはうっすら赤みが残るくらいまで治癒していた。
ぽかんとしている私の手を検めて、キロさんはほっと息をついた。
「よかった、あまり深くはなかったみたいだな」
「うん……あの……ありがと。キロさん、魔法を使えたのね」
「少しね、あまり得意なわけじゃないが」
「ほんとに? きれいに治っちゃったのに」
「女の子の肌に傷を残したくないからね」
ほら、こういうことを言う。下心もないのに女の子を大事にして、いらぬトラブルを招いてる。知ってるんだから。エスタのインターネットのゴシップサイトで、国民に大人気の大統領と補佐官から目をかけられる女として、私がめちゃくちゃに叩かれてるってこと。時々、若い女性事務官たちには敵意混じりの視線を向けられるし、ほんとのところ嫌がらせもちらほら。
どうでもいいわ。だって、大事にされている。人に迷惑をかけて、失敗ばかりの人生だけど、それでいいよと受け止めてもらえる。守ってもらえる。安心してここにいられることが、うれしいの。