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0707 もう一度、エルオーネと

 

 立ち上がるのも億劫で、滅多に使わない音声認証を使ってドアを開けた。
 飛び跳ねるようにして入ってきたエルオーネは、ベッドに寝転ぶ私のそばまでやってきて、心配そうに覗き込んでくる。

「キロさん、大丈夫? 傷が痛むの?」
「やあ、エルオーネ。盛大に腫れているだけでたいした怪我じゃないよ。検査でも問題はなかったしね」
「でもぐったりしてるみたい」
「昨日の晩に、ちょっと……」

 彼女は訳知り顔でくすくすと笑った。

「おじちゃんにめちゃくちゃ怒られたんでしょう」
「まあね……」
「怒られただけじゃなさそう」
「この話はおしまいだ。それで、今日はまた君の担当なのかい?」

 さすがにあれだけ殴られればノーダメージとはいかない。おまけに昨夜はいろいろあって、あまりしっかり眠れていないのだ。どこかに出かけたいと言われても、今日ばかりは無理だと断らざるを得ない。

「この一週間、私も含めてみんなの相手をして疲れたでしょ? 今日はキロさんお疲れさまの日。何かお手伝いすることがあればと思って来たの。掃除でもお洗濯でも、なんでもしますよ」
「いや、特に必要なことはないかな」
「つまんないの」
「キャロラインはどうしてるかな、怖がっていないといいんだが」
「うん、昨日は少しぐずったみたいだけど、よく眠ったって」
「君も五歳だったな」

 唐突に思いつき、思ったときには口にしていた。エルオーネは頭のよく回る賢い女の子だ。私の要領を得ない言葉にも、きちんとついてきてくれた。

「エスタに攫われたときのこと? 正確に言うとまだ四歳。助けてもらったのは五歳になってからかな」
「そうか……」
「やだな、キロさん。まだ気にしてるのね。たくさん泣いたけど、おじちゃんが来てくれるって信じてた。心から信頼している大人がいたから、私はだいじょうぶだったの。もう思い出すことだってないし、今その元凶のオダインおじさんと働いてるんだよ。ぜんぜん平気」
「……何か私にできることがあったら言ってくれ」
「それは私の台詞です。それにね、私、こんなことになるなんて思ってなくて……キロさんのお誕生日なのに、こんな怪我させちゃって本当にごめんなさい」

 いい加減寝転がるのをやめて、のろのろと起き上がった。彼女が責任を感じるのはまったく筋違いだし、私の思うことをまるで理解してくれていない。そこには怒りの類はひとつもなくて、私はただ、素直な気持ちで語りかけていた。

「この一週間本当に楽しかったんだよ。疲れたなんて一度も思わなかった。こんなことなら、もっと早く休暇を取るんだったな」
「あのね、みんな、キロさんに遊んでほしかったのよ。いつもおじちゃんにべったりで、こうでもしないと構ってもらえないんだもの」
「どちらかというと、私がみんなに構ってもらったような……」
「ご謙遜を。それで今日のプランはどうするの? 一日中ごろごろ? だったら邪魔しないでお暇するけど」
「そうだな……」

 予定のない休日は本当に希少だ。体も痛いし、ものすごく面倒な作業ゆえに実に気が向かないが、今日のように時間がたっぷりある日でないとできないことをするべきだろう。
 私はベッドの上に座り、覚悟を決めて、ふうと息をついた。

「解くか……」
「なにを?」
「髪を解いて……洗おうと思う」
「うわあ、休暇の最終日に、そんな大仕事しちゃう?」
「昨日の騒ぎでだいぶ汚れたし、崩れてきてもいるから……」

 常に編んでおかないといけない髪質で、維持するのが大変面倒なのだ。ざばざば洗って適当に乾かすだけで跡もつかないラグナの髪を見ていると、時折軽く怒りを覚えることすらある。こればかりは生まれ持ったものなのだから仕方がない。
 解いて洗って乾かして、また結ぶ。果たして何時間かかるやら。少女を抱いて地下を進んでいたときよりも、やり遂げることが困難に思えた。

「手伝ってもらえると……勇気がでるんだが……」
「もう、大袈裟ね。いいわよ、傷だらけのヒーローの休日にしては庶民じみてるけど、喜んでお手伝いします」

 楽しかった六日間の果てにこの苦行、というのも皮肉なものだ。しかしこれが現実、私の送る毎日。
 いつの間にか絡み合い、たくさんの縁ができた。それらは少しずつ重なって私の世界を作っている。はじまりはラグナとウォードから、今はこんなにも遠くまで。
 そんな毎日が楽しい。特別な日も、そうでない日も、みないとおしく大切だ。この日々を守ってゆきたい。できることなら、私もその中に。

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 ここからは余談。
 その後モーグリドリームランドは、点検と修繕のために一週間休業して営業を再開したそうだ。事件はドール公国、エスタ、ガーデンの間で秘密裏に処理され、三者からの働きかけによって解放されたベンジャミンは、数日後、何事もなかったようにメディアの前に姿を現した。パークでの爆発は機器故障と発表されたが、しばらくは事件記者が騒ぐだろう。
 キャロラインは新しくできた友だちとのビデオ通話に夢中で、王子さまとのデートは見送られているらしい。私はといえば、数日で傷の痛みも引き、いつも通りにウォードと仕事をして、エルオーネの彼氏とやらを殴り、未だ機嫌の直らない某をなだめながら暮らしている。教訓を生かして適度に休暇を取るようにもした。楽しかったとはいえ、あんな誕生日はこりごりだ。有給取得率2.1パーセントがあの事態を起こしたというのなら、こうして休日を分散させておけば……フラグ? 冗談じゃない、私ももういい歳だ。退屈なんて言わない、平穏がなにより。

 

おわり