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1.ラグナと

 

※キロラグ

 見慣れた光景だったので、はじめ、それが特別なイベントの一部であることに気づかなかった。

「……あんたは最後だと思ってたよ」
「あら、期待しちゃった? ざんねん、明日はスペシャルなホストのおもてなしですわよ」

 促されて起き上がる。もそもそとベッドを出て顔を洗っている間、鼻腔に届くのは親しんだ朝の香りだ。コーヒーはインスタントで済ませるときもあれば、豆から挽くときもある。今日は手のかかるほう。目玉焼きとトーストが半分。サラダはマスタードのドレッシングで和えてあった。
 向かいに座って朝食の礼を伝えると、ラグナはいつものように卵をフォークで突き刺して、とろけた黄身にトーストの端をつけながら言った。

「今日が一番いいんだぞ。一番最初におめでとうって言えるんだから」
「どういう意味だい」
「だって、前の順番のやつがおまえを0時までに解放するとは限らねえだろ。当日のホスト役をもらっても、おまえが日付変更きっかりに帰ってこなけりゃ、誰かに先越されることになる。それってスッゲームカつく」
「そんなに深く考えなくても」
「嫌だね、だって……ちゃんとお祝いすんの、はじめてだしさ」

 その機会がなかったというのは少し違う。彼の誕生日は国を挙げて盛大に祝うイベントであり、そのあとに仲間内で集まって酒を飲むいい口実でもあった。だが一般的には、男友だちの誕生日などそれほど熱心に祝うものでもないだろう。私は自分の誕生日を理由に酒を飲もうとは言い出さなかったし、彼もそのことに触れずにいた。
 彼に何か思うところがあったらしいことは、漠然と感じていた。たとえば私は、仲間たちとその話題を共有することはなかったが、その日になると家族との絆を思い出す。どうも彼は、それを嫌っている節があった。
 私たちは長らく個人的に記念日を祝う仲ではなかった。彼は誰かから祝われたり贈り物をされることに慣れているけれど、誰かに尽くすことには不慣れだ。どんなきっかけで、どれほどさりげなく、どれほど強くその言葉を言えばいいのかわからない。エルオーネの申し出に飛びつき、彼女の考えた条件を飲んだのは、自分では他のやり方を知らないからだった。
 こういう他人の手の入るイベントを、本来の彼は嫌がる……私が関わるとなれば特に。誰かの力を借りなければならないなんてみっともないこと、絶対に知られたくない。だから、ルールを誰よりも心得ているように振る舞っている。そんな彼の不器用で自己中心的なところが、今はとてもいとしいと思う。

「それで……どうやって祝ってくれるって?」

 スライスされたニンジンをフォークの先で追いかけ、私は尋ねた。ほんの一瞬、迷子のように頼りない表情がよぎったが、彼はすぐさま強がって、それを覆い隠してしまった。私はいっそ愉快になって、不必要に口元が緩むのを苦労して抑えていた。

「なんでも。今日はおまえのやりたいことに付き合ってやるって決めてんだ。おまえの休暇なんだから」
「感動的だな、この数日一度も聞いたことがなかった言葉だ」
「どうせみんな、ワガママ言っておまえを連れ回したんだろ」

 オレはそんなことしない、と得意げに言うけれど、年がら年中わがままを聞かされているのだから、一日くらいの献身で威張らないでもらいたいものだ。

「まあ、それはそれで楽しかったよ」
「おまえほんっとに、いい性格してるよな」
「褒め言葉だと受け取っておく」
「褒めてねえもん。で、なにしたい? なんでもいいから言ってみろよ」
「あんたは?」

 問い返されるとは思っていなかったのか、きょとんとした子どもじみた顔だ。

「あんたはどうやって過ごしたい?」
「なんでオレの話になんだよ、オレのことはどーでもいいんだよ」
「良くないよ。言ったことがあると思うけど、私の望みはあんたの一番近くで、あんたを見ていることだからね。あんたが楽しんでいるなら、私もうれしい」

 嘘偽りのない気持ちだ。かつては逃げたこともあった。すれ違ってうまくいかなかった時期もある。しかしどんなときも、根底にはその望みがあった。
 友情か愛かと問われれば、それははじめからずっと愛情で、愛情として表現して良いのだと自分を許すまで、長い時間がかかってしまった。素直になってしまえば簡単な話だ。やりたいことを思うがままに貫く彼を、隅から隅まで肯定したい。求められる幸運を受け入れたい。
 ラグナはどことなくほっとした顔で、身構えていた緊張を解いた。

「んだよ、それ……しょうがねえやつ」
「どうする? どこか出かけようか? 休みが合うのは珍しいだろう」
「んー……」

 ぼんやりと視線をさまよわせ、彼が言う。

「……行かね。ずっと部屋にいよ。そんで、ドアも窓もぜんぶ鍵閉めて、カーテン引いて、緊急連絡以外ぜんぶ無視して、ごろごろしよ」
「いいよ」
「そんで今日が終わったら、おまえに一番に言うんだ」

 夢見るような響きだった。電話越しではなく、一番近くで聞きたい。許されるなら、永遠のように、遠い未来まで。

つづく