Yours Always

 私でなければ対応できないトラブルが起きて、朝から仕事に追われていた。
 何か月もかけてスケジュールを調整し、定期的に行われるガルバディアとの会談でさえ、それとなく水を向けて昨日には帰ってこられるように整えた。昨年教えられた休暇の重要性に従い、今年ははじめから自分の意志で、今日この日をオフにする努力をしてきたのだ。
 そうはいっても、大人として責任を持ってしまった以上、重大な問題を放って部屋に閉じこもるわけにもいかない。部下に指示を出し、関係各所と密にやり取りを続け、ようやく事態が落ち着き始めたのは夜の二十二時を回るという頃合いだった。

「みんな、よく頑張ってくれた。疲れただろう、いったん休憩しよう」

 誰もが食事も忘れて没頭していた。体調の優れない者は休ませていたが、トラブルに対する緊張感を抱えながらの作業はさぞつらかったはずだ。官邸の料理人に無理を言って食事を手配してもらおうとして、部下に止められた。

「ここは大丈夫ですから、今日はもうお休みください。というか、本当は休暇を取られていたのに、我々が不甲斐ないせいで申し訳ありません」
「いや、これは私の仕事だ。君たちこそ、食事が来るまで少し仮眠してきたらどうかな」
「いいえ、いいんです。本当にどうにもならない問題が起きたら、また連絡します」
「シーゲル補佐官に戻っていただかないと、大統領の機嫌が向こう一ヵ月は悪くなりますから……」
「誕生日に恋人と過ごさないなんて、普通だったらお別れ案件ですよ」
「そうそう、そっちのほうがずっと重大事件です」
「そうかな……それじゃあ」

 お言葉に甘えて、と去りかけて、はたと気づいた。なんだって?
 怪訝な顔して振り返った私を、にこにこの部下たちもまた、不思議そうに見つめ返している。私が何を疑問に思っているのかわからない様子だ。

「……?」
「……? どうなさいました?」
「恋人……?」

 ああ、と得心したように、長く勤めている女性事務官が笑った。

「まさか、我々が存じ上げないとでも?」
「…………」

 逃げ出したいと感じたことは今までの人生でそれほど多くはなかったが、今この時、どんな厳しい戦場にいたときよりも、一目散に駆け出してしまいたい気分だった。

「……彼が話したのか?」
「いいえ、ご自分からは何も。でも見ていたら誰だって気づきますよ。そうですよね?と伺ったら、威厳のあるふうにそうだと仰ったあと、テレテレしていらっしゃいました」
「お二人のお休みが重なる日は、絶対に連絡してくるなと釘を刺されますし」
「補佐官にプレゼントをすると、大統領からは翌日丁寧な牽制のお返しがありますし」
「意外と補佐官は寝汚いと伺ってます」
「僕なんか、大統領から、補佐官のパンツの話を聞かされたことがありますよ。お尻のかたちがよくないと、ああいうパンツは似合わないよなあ、なんてしみじみ言っておられました」
「私は、新任のときに先輩から、あの二人は付き合ってるから配慮するようにと聞かされましたけど……」

 目の前に彼がいれば、何を話しているんだと小一時間は問い詰めたかった。この関係を知っているのはウォードとエルオーネくらいで、他のみなには隠せていると疑っていなかったのだ。仕事場にいらぬ混乱を呼び込みたくなかったし、相手はこの国の大統領だ。男と付き合っているなんて知られれば、格好のスキャンダルになってしまう。
 わきまえた者たちばかりだから、外部にリークしたりはしないはずだ。しかしどこから情報が洩れるかわからない。打ち明ける人間はできる限り少なくしておきたかった。
 私が黙り込んでしまったので、部下たちは顔を見合わせて、反応に困っている。ただでさえ朝から働き通しで疲れているのに、私事で煩わせたくない。さらっと他言無用をお願いして、話題を変えてしまおうとした。出来なかったのは、最悪とも言えるタイミングで執務室を訪れた人物がいたからだ。

「やっほー、みんなおつかれさん。世界一のサンドイッチの差し入れだぞ!」

 てっきり歓声が上がると思っていたのだろう。大きなトレーを手にしたラグナは、入口のところで驚いたように立ち止まった。静まり返った部屋に、場違いみたいなテンションで来てしまったことに気づいたからだ。

「ちょっと、おじちゃん、急に立ち止まらないで」

 彼の肩の向こうに、黒髪のてっぺんが覗いている。エルオーネだ。どういう顔して彼と話せばいいのかわからなかったので、その存在にほっと安堵した。彼女ならどんな物事に対しても、胸のすくようなはっきりとした態度で意見してくれるからだ。
 ラグナの陰からひょこっと姿を現したエルオーネは、明らかに気まずい雰囲気で黙り込んでいる我々を見回し、すぐに自分の役割を悟ったようだった。

「なあに、みんな暗い顔して。システムエラーが長引いてるってわけじゃないよね、お腹減って元気でないのかな?」
「せ、世界一のサンドイッチの差し入れですよぅ……」

 さっきと同じ台詞を繰り返し、戸惑った様子のラグナがテーブルにトレーを置いた。手の込んだ手作りのサンドイッチは、ハムやチキン、チーズや野菜、中にはフルーツとクリームまで、好き嫌いがあっても楽しめるようにという気遣いが見て取れた。
 エルオーネはいそいそと使い捨てのカップを並べ、ポットからコーヒーを注ぎ始めた。長い間飲まず食わずだったから、その香りは忘れかけていた空腹を思い出させ、またざわついた気持ちを落ち着かせるのに役立った。いつまでも変な空気を引きずりたくない。責任を感じて、私から言った。

「ありがとう、どこに食事を手配しようかと悩んでいたところだったんだ」
「こんな時間だもんね。それでこんなどんよりしてたの?」
「いや、それは……」
「シーゲル補佐官は、私たちがお二人の関係を知っていることをご存じなかったようで……」

 最初に声をかけてくれた事務官が、申し訳なさそうに説明した。

「楽しい話題のつもりが、お気を使わせてしまったのです」
「それはキロさんが大人げない」
「……悪かったよ」
「とんでもない! 仕事でハイになっていたのと、おめでたい日が重なって、みんなして浮かれてしまって……」
「てかおまえさ、今まで気づかれてないと思ってたの?」

 痛いところを突かれてしまったが、いったい誰のせいだと思っているのか。私はまだしも、彼は露出の多い国家元首だ。交友関係が明らかになれば面倒が起きるという自覚を持ってほしい。

「ラグナくん、あんたには後で言いたいことが」
「もしかして、なんでバラしたんだとかそういう話?」
「……そうだよ、知られたくないとあれほど言っただろう」
「誰の! せいだと! 思ってんだよ!」

 思わぬ反撃が来た。ついでに、部下たちを振り返って「なあ!」なんて同意を取られてしまった。エルオーネに至っては、とうに会話に見切りをつけて食事を勧めて回っている。あの顔は私が悪いと思っている顔だ。基本的に彼女は、私たちのことで問題が起きると、大抵「キロさんが悪い」と言う。
 促されるままに食事を始める部下たちの前で、ラグナは私の両頬を忌々しげに掴み、ずいと身を乗り出した。

「オレは別に隠さなくてもいいんじゃねえかって思ったけど、おまえが隠したいっていうから、がんばって隠してたよ! ねぼすけがかわいいなとか、尻のかたちがいいよなとか、みんなに言いたかったけど言わなかったし、ずっと我慢してたよ!」
「それは今も言わなくていい……」
「話を逸らすな! オレが黙ってたのに気づかれたのは、おまえが……おまえが! オレに必要以上にやさしくすっからじゃねえか!」

 身に覚えのないことを言われて困惑する私に、追い打ちのように部下たちの言葉が飛んでくる。

「もう三時間経つから、そろそろ休憩を取ったほうがいい、とか……」
「体を冷やすからちゃんと靴下を履くんだ、とか……」
「あんたが欲しがっていた椅子に変えたけど、腰痛はどうだい、とか……」
「もし体がつらいなら、午前の視察はリスケしようか、とか……」
「寒くて人にくっつくくらいなら、ちゃんと服を着て寝るべきだ、とか……」
「それは私では……」

 ない、とは言い切れなかった。というか、たぶん私だ。そのときはただ気遣っているだけで、問題があるとは思っていなかった。しかしこうして羅列されると、問題以外の何物でもない。特に後半は、誰が聞いたって私的な関わりがあると気づくだろう……ただの友人同士が服を着ないで一緒に寝るなど、かなり特殊な事情でもなければ起こり得ないシーンだ。
 頭を抱える私に向かって、とどめの一言。

「キロさんが悪い」
「……返す言葉もない」
「隠したいっていうんなら、外じゃオレに冷たくするくらいのことしろよ」
「それはできない」

 見られているのも忘れて返していた。

「どんなときもあんたのことは一番に大事にすると、昔から決めているんだ」
「おまえさ……そういうとこだぞ、わかってんのか?」
「何がだい?」
「もう、勘弁して」

 手にしていたカップを置いて、エルオーネが溜め息ついた。私たちのこういうやりとりに食傷気味なのだ。

「さっさと帰って、続きは部屋でやって。二人がここでいちゃついてたら、みんなが休めないでしょ」
「やだね」

 ラグナは近くの椅子を引いてどかりと腰を下ろし、腕組みまでして、一歩も動かないぞと言わんばかりだ。鈍感な私に呆れてへそを曲げたらしい。そもそも、一緒に過ごすために休暇を取ったのに、結局ほったらかしにしたのは私だ。いくら仕事への理解があったとしても、部下たちの言う通り、怒って不機嫌になられても仕方がない状況だった。
 彼は私の顔も見ずに、顎で外を指して言った。

「おまえと切ろうと思ってたケーキ、冷蔵庫に入ってるから、取りに行って来いよ」
「えっ、そんな、お二人で食べてくださいよ!」

 部下が慌てて口を挟んだが、彼は頑として頷かない。

「どっかの誰かのせいで、今日はもうここでみんなに祝われたい気分」
「そ、それなら僕が取りに行って……」
「オレの私室に入るつもりか? 恋人以外立ち入り禁止だよ!」

 完全にやけになっている。言う通りにするしかない。観念して、ローブを脱いで部屋に戻ることにした。
 自室のドアを開けると、飼い猫がすぐさま足にまとわりついてきて、尻尾を絡め、ごろごろと喉を鳴らした。彼女の背中をていねいに撫でてからキッチンに向かう。ラグナの調理の手際といったら見事なもので、料理を作り終えるころには、使った調理器具はあらかたきれいに片付いている。最後に洗い物の山が残る私とは大違いだ。
 ついさっきまで差し入れを作っていただろうキッチンは、調理台を拭いた布巾と手洗いした鍋が干してあるくらいで、火の消えたさびしさだ。いつもいっぱいに満たされた冷蔵庫を開けてみれば、真ん中に、ケースで覆われた小ぶりのケーキが仕舞われていた。私があまり甘いものを食べないので、普段の彼はこういうものは作らないけれど、誕生日はやっぱりクリームのケーキだよなとこだわっていた。クリームはバランスよく甘さ控えめで、スポンジは重くならないよう、ふんわりと仕上げてくれたに違いない。フルーツはなしでリクエストしたから、殺風景になりがちな上面には、かわいらしいチョコレートのメッセージプレートだけが乗せられていた。
 ……仕事に行かないわけにはいかなかった。彼もそうしろと言ってくれた。でも、この部屋で、彼がご機嫌にケーキを作る姿を見ていたかった。一緒に過ごしたかった。

「……こんなんだから、バレバレだと言われるのかな」

 調理台に飛び乗った猫を抱き上げ、諦めの苦笑いだ。まさか自分で巻き散らかしていたとは思ってもいなかった。どうしようもない。彼を愛して、もう二十五年だ。呼吸のように不可欠なこの想いを秘めることなど、できなくて当然。
 ケーキを持って戻ったら、いっそのこと、キスでもしてしまおうか……いいや、やめよう。バレていたからといって、節度をもたないのは品がない。動揺して照れる彼の顔を、みんなに見せるのも面白くない。
 ただ、耳元で、特別な言葉を囁こう。ありがとう、それから。

 

 おわり