頭ふたつぶんは飛び抜けていて、こんな雑踏でもよく目立つ。手を振るオレを見つけたウォードは、いかつい顔に懐っこい笑みを浮かべ、太く頑丈な腕をぶんぶんと振って返してきた。
「ひっさしぶりだなぁ! 元気にしてたか?」
ウォードはうれしそうに頷いて何やら手を動かしかけたが、すぐに我に返り、ポケットから小さなボードを取り出した。
『なんとかやってる、おまえも元気そうだな』
「なんだよ、おまえ、風邪でも引いてんの?」
オレはこんなときまで無神経で、その可能性にまったく気づいていなかった。小さな子どもの手前、それを晒すことが躊躇われたのだろう。ウォードはスカーフに隠れた首の辺りに手を触れ、ボードに『あのときの傷で』と書いて寄越した。
子どもたちが一緒で良かった。返す言葉を探す間、ウォードの興味は、オレの足元にちんまりと並んでいる二人に移っていた。ライオンみたいにでかいけど、やさしくて面白いおじちゃんだと言い聞かせてあった。初めての相手でも物怖じしないエルオーネは、とびきりの笑顔でぺこりと頭を下げている。
「はじめまして、エルオーネです。以前、おとうさんが大変お世話になりました。こちらは弟のスコール」
『こんにちは。二人のことはラグナからの手紙で聞いている。俺はウォード。会話がままならなくてすまない』
スコールは挨拶もせず、エルオーネのスカートを掴んで後ろに隠れている。家の中ではわりあい元気なのだが、誰に似たのか大変な人見知りで、五歳違いの姉について回り、初対面の人間とは目も合わさないのだ。膝を曲げて覗き込むウォードの顔を見ようともせず、傍から見ていて申し訳なくなるほどだった。
「あー……なんか、悪い」
『かわいいじゃないか。店を予約してある』
歩き始める背中を追いかける前に、エルオーネはちらりとこちらを見上げてきた。ついていってもいいかと聞きたいのだろう。小さなエルオーネが可愛くて可愛くて、よく知らない人を信用してはいけないと昔から約束させてきた。オレの友だちだと聞かされても、まだ知らないも同然の大人だ。言いつけを守っているのがなんとも健気で、それと同時に、この大事な友人のことを最近まで話して来なかった不義理を思い知らされたのだった。
エルオーネは血の繋がった娘じゃない。軍の作戦で負傷したオレを助け、看護してくれたひとが面倒を見ていた子どもだった。そのひとにプロポーズをして、受け入れられて、スコールが生まれても、エルオーネはオレたちに遠慮してオレのことを父親とは呼ばなかったし、彼女のことも母親とは呼ばなかった。だがまもなく彼女が亡くなり、言葉を覚え始めたスコールが、姉と慕うエルオーネを真似してオレを「おじちゃん」と呼ぶのを見て、とうとうオレを父と受け入れる覚悟を決めてくれた。だからオレにはこの子を幸せにする責任がある。たとえ傷を負った親友たちの安否がわからなくても、あの村を離れなかったのは仕方のないことだった。
……そんな言い訳も、こうして後ろ姿を見つめていると、鈍い罪悪感に変わっていく。ウォードは一言もオレを責めない。よく響く笑い声さえも聞こえない。失ったものの大きさを、薄情なオレに知らしめようとしない。その距離は離れていた時間のぶんだけ広がっていた。何故かといえば、オレが振り返らなかったからだ。オレが突き放したからだった。
ウォードが予約していてくれたレストランは、多少は酒も飲める家族向けの店という趣で、店内は多くの家族連れで賑わっていた。子どもたちは早速写真付きのメニューにかじりついている。
「そういや……あいつは? 声かけてねえの?」
オーダーを済ませてから、オレはさほど気にしていないふうに装って聞いた。
『任務の合間に来れたら来る』
「へえ……忙しいのな」
ウォードは軍を辞めていたが、兄がまだ海軍で働いていて、元の所属を名乗って問い合わせをしたらあちらから連絡をしてきてくれたのだ。オレは呑気に、何故電話でなく手紙なのかと不審に思っていた。
「おとうさん、まだ誰かくるの?」
「ん? あー、話しただろ。仲いい三人組だったって。キロスっていってな、まだ兵隊さんしてるんだ」
田舎にはなかった色合いのジュースに夢中だったスコールが、目をキラキラさせて顔を上げた。この子は強い兵士に憧れていて、村に駐屯していたガルバディア兵を熱い眼差しでよく見つめていた。引っ越しをすると言ってひどく反発したのは、都会に行ったら兵士たちと会えなくなると思っていたからだ。
「へいたいさん、くる?」
「忙しいから来れないかもしれないって」
「やだっ、へいたいさん、みる!」
普段滅多に声を上げないのに、このことになると自己主張が強い。エルオーネに頬を膨らませていやいやをしている。
それを微笑ましそうに見やり、ウォードはペンを走らせた。
『こっちに来るんだったな』
「うん、そのつもり。田舎じゃあんま仕事ねえから、なかなか食ってけねえし」
『なにか問題でも?』
「ま、なんもなかったってわけじゃねえけど……別にそんな深刻な話じゃねえよ。都会のが、何するにも便利だろ」
彼女が亡くなってから、オレに対する風当たりは強くなった。それだけならなんてことなかったが、オレが誰にも仕事をもらえなければ、二人を食べさせられない。出稼ぎに出てしまえば家族が離れ離れになる。それに……昔を知っているやつが赴任してきてやりづらくもあった。村を出て都会に越すことをエルオーネは嫌がるかと思ったが、すんなりと受け入れた。彼女……レインのいないこの村に暮らす理由はもうないと。九つになったばかりの少女のほうが、ずっと大人びていた。
『引っ越しはいつ?』
「もうあっちの始末はついてるんだ。家を処分して少し資金ができたから、しばらくホテルに泊まって、家と仕事を探すつもり」
『ホテル住まいじゃ金がきついだろう。狭いがうちに来るか?』
「や、そりゃ助かるけど、気ぃ使わせるしな。もし金が尽きたらそんときは頼むよ」
かつては年がら年中一緒にいたのに、今となってはどんなふうに顔を合わせていればいいのかわからなくなってしまった。ぎこちない筆談が、離れていた年月を思わせる。《親友》から《昔の知人》に遠ざかってしまった。オレのせいで。
しばらくテンポの悪い会話を続けていると、スタッフが誰かを伴いテーブルまでやってきた。ウォードが打ち解けた様子で手を掲げ、サインらしきもので話しかけるのを、どこか遠いものを見るように眺めていた。
「いや、三十分くらいで失礼するよ。ラグナ、久しぶりだね」
ウォードに向けていた視線を今になってこちらに向ける。ついでのような口調にすこし、苛立って、こいつとどんなふうに話していたのか思い出せなくて、すこし、戸惑った。
「よう、ご活躍みたいだな」
「そういうのではないよ。二人ともはじめまして、私はキロス・シーゲル。君たちのお父さんの旧い友だちだ」
席を詰めたウォードの隣、オレの向かいに腰かけて、キロスは子どもたちに声をかけた。
「……はじめまして、私はエルオーネ。こちらは弟のスコール」
ウォードに対する挨拶と同じ言い回しであるはずなのに、どこか緊張を感じる声だ。誰にでも朗らかなエルオーネには珍しいことだった。
代わりに、いつも引っ込み思案なスコールが、オムライスをすくうスプーンを放り出す勢いで言った。
「へいたいさん!」
「ああ……こんな格好ですまないね。一時間後に集合なんだ」
「……っこいい」
照れたようにうつむいている。当然だ、田舎に派遣されるようなヒラの兵士ではない。ウォードからの手紙には、乞われて元の部署に戻ったと聞いている。つまり、スコールが今まで会ったことのないような精鋭部隊の所属だ。見るからに雰囲気が違うし、立ち振る舞いも引き締まっている。子ども心に憧れが膨れ上がっているのだろう。
「へいたいさん、おはなしする」
隣のオレの膝を乗り越えようとするのを、エルオーネがこら!と叱っている。
「だめよ、まだ食べ終わってないでしょ」
「おはなしするーっ!」
「スコール、言うこと聞けない子は、もう一緒に寝てあげない」
宝石みたいにきらきらした目に、みるみるうちに涙が溢れる。お姉ちゃんは世界そのもの、父親はその付属物。それくらい姉を愛している弟が、突き放されて泣かずにいられるはずがない。それもこれも、母親を亡くした弟のために必死に母親の役割を果たそうとする、小さなエルオーネの健気な努力ゆえだった。
キロスはそのやりとりを眩しそうに見つめてから、オレを振り返って聞いてきた。
「ウォードから聞いているよ。越してくるんだってね」
「まあな。シティは家賃が高いから、郊外にしようかって思ってるけど、しばらくはこのへんのホテルにいるよ。どっか安いとこ知ってたら教えて」
「詳しい人間に聞いておく。良い情報があったら、ウォードを通じて伝えるよ」
なんで直接連絡しようとしないんだ。かっとして、ひとこと文句を言ってやろうと思った。そうできなかったのは、座ったばかりなのにもう席を立った相手が、必死にオムライスの残りを頬張って姉におしゃべりの許可をもらおうとしているスコールに、やさしげに語りかけてしまったからだった。
「スコール、もしまた会えたら、ゆっくり話をしよう。エルオーネも元気で。ラグナ、久しぶりに顔が見られてうれしかったよ」
そしてウォードのハンドサインに頷いて、気安い言葉をいくらか交わして、口もつけなかった飲み物の代金を置いて、あいつは行ってしまった。その瞬間、オレは大事なものをぜんぶ頭から放り投げて、後を追いかけていた。店を出たところでようやく追いついた。何を言えばいいのかすらわからないまま、その腕を掴んで止めていた。
「ラグナ?」
「あ……あのさ、近いうち、また会えねえ? あんまゆっくり話せなかったしさ」
「任務続きなんだ。エスタとの情勢があまりよくないんでね」
「ちょっとだけでも」
「いつ帰れるかわからない、約束を守れるとは限らない。ウォードと飲む機会があったら教えてくれ。行けそうだったら、そのとき顔を出させてもらうよ」
「オレは……おまえと二人で会いたいんだ」
深い意味を込めたつもりはなかった。自覚もなく、口から滑って出た言葉だった。
長い睫毛を伏せ、くっきりとした瞼を閉じて、深く息をつく。言いにくい事実を子どもに告げたくなくて、躊躇う大人みたいな仕草だった。そうしてキロスは、シンプルなリングを填めた指でオレの肩を押して、静かに答えた。
「……ラグナ、すまない。恋人がいる」
顔から火を噴きそうだった。恥ずかしくて、ムカついて、ビリビリに引き裂いてしまいたくなった。下心があると思われたのが心外で、腹立たしくて仕方がなかった。そんなんじゃない、オレはただ話をしたかった。会わなかったこの五年の空白を埋めたかった。オレが何をして、おまえがどう過ごしたのか知りたかっただけだ。それなのに……
それなのに、オレはたぶん、身勝手に傷ついていて、去りゆく姿を見送ることもせず、未練がましくその場に立ち、自分の爪先を睨みつけていた。
オレだって、伴侶がいた。本気で愛して、家族を持って、幸せに暮らした。彼女は喪われてしまったけれど、愛した気持ちはここにある。今でもちゃんと思い出せる。
あいつとオレが恋人だったことはなかった。だからあいつに対して貞操を守る必要はない。軍にいたころに、遊びみたいに何度か……何度も抱き合っただけだ。あいつはオレが好きだと言っていた。好きだと言われると良い気分だった。ただの友だちだと言いながら、あいつの一番がオレであることに、優越感と多幸感を抱いていた。
五年もの間、探しもせず、思い出しもせずに自分から消息を断っていたのに、会えば昔の通りに戻れると漠然と思っていた。ウォードは声を失い、思うように言葉が交わせなくなった。あいつは見慣れないリングをしてオレを遠ざけた。
オレのせいだ、でもオレだけのせいなのか。あいつだってオレを探さなかった。死にかけたオレがどうなったか確かめようともしなかった。恋人を作り、オレのことを忘れて離れていった。
オレだけが悪いわけじゃない。あいつだって──
そんなわがままな強がりは、子どもたちを見ていてくれたウォードがさり気なく手渡してきたボードの言葉に、呆気なく打ち砕かれてしまった。
『あれから一年経ったころ、あいつはおまえがウィンヒルにいることを突き止めた。訪ねて行ったが、会わずに帰ってきた。結婚して幸せそうだから、もう危険な任務から離れて穏やかに暮らしてほしいと言っていた。俺たちがそばにいれば、おまえははしゃいで、村から飛び出して遊び呆けるだろうとも』
「なんだよ……それ」
『おまえがそう望めば、あいつは従わざるを得なくなる。もうあいつを自由にしてやれ』
縛ってなんかいないと言い返したかった。何も求めていない、何も制限していない。あいつが勝手にオレを好きになって、オレを求めたんだ。
……だけど、本当はわかってた。あいつがそばにいたとき。あいつと触れ合っていられたとき。オレはたのしくて、幸せだった。
つづく