転びかけた私を岩場に座らせて、アーロンは念入りに足の具合を確かめているようだった。現し世の事象を認識する力が薄れていて、もう僅かにしか感覚が残っていない。すぐそこにいる仲間の気配すらうつろだ。線が繋がって物の輪郭が浮かび上がることはあるが、私の世界のほとんどはまばらな点と灰色で、それすらも失われ、いずれ真っ白に均されるだろうと思われた。
 究極召喚を得た召喚士は、発動とともに死ぬという。だがこうなってみてわかったのは、召喚士は究極召喚を得たそのときに、この世のものではなくなるということだ。今の私は人ではなく、究極召喚とこの世の媒介だ。然るべきときに然るべき場所に立ち、それを発動するために、いくつかの機能を残されている。たとえばあの契約を結んだのちに怖じ気づくことのないように……あれだけの覚悟をしながら、いまさら逃げる召喚士がいるとも思えないが。

「……お怪我はないようですが、痛みませんか?」

 遠くからささやく声がする。そばにいるはずなのによく聞こえないのは、私が人から離れているからでもあるし、おそらく彼がうつむいて、私を見ないからだ。色を失い、途切れ途切れの線でぼんやり象られた若い仲間は、そのエネルギーや感情の一切を落とし、呪いのような義務によってかろうじて動かされているのだった。
 もし、少しでも痛む素振りを見せたなら、彼はこの地に留まって、そのときを遠ざけようとするだろう。怪我がないことに落胆してさえもいる。だがもう二度とやめようとは言い出せない。既に失われたものがあるからだ。
 失われたという表現は妥当ではないか。なぜなら、すべての感覚が遠のく世界において、その息遣いだけは強く感じる。ともすれば誰よりも近く。私の背後に在って、熱く食いしばり、唸り、解き放たれるのを待ち構えている。私と《それ》は境界がわからないほど結びついていて、私をその地に立たせるだけの力を与えてくれる。
 いっそこの体を脱ぎ捨てられたなら、もっと軽やかに駆けられるのに。思うように動かない肉の体は、感覚の乖離した私には動かしにくい玩具だった。魂だけで使命を果たすことができれば、より早く平原まで翔んで行ける。この引き延ばされた死から解放される。
 ……だがもし可能だとしても、その方法は選ばない。これからの世界を生き抜くアーロンを、ここに置き去りにはしない。私は君を選ばなかったけれど、君の力が必要だった、ただそこに在るだけで勇気だった。そう信じてほしかった。
 痛みはない、少しだけ、君と話したい。声に出したつもりで、たぶん、声にはならなかった。生者との会話は召喚の道具には必要のない機能だからだ。消えかけの輪郭、彼の顔が歪むのがうっすらと見えた。最後に映すものが悲しみなのは嫌だ、しかし笑ってくれと願うのは、私のエゴでしかなかった。

「ここからは、背負って……俺が背負って、いきますから」
『…………』
「どうか、目を閉じていてください。傷つけないように」

 何も見えないのに、私の目はどこかを見ている。塞がれた耳は、別れの言葉を聞き取ろうとしている。この世の最後の記憶は、ゆかいに笑いあった旅でも、いとしい子の面影でも、命を削る戦いでもない。私を背負い、重たく揺れる背中。わたしたちを死に追いやったと、永遠にくるしみ続けるであろう背中。わたしをおわりまでつれゆく背中。
 そして、せかいはしろい。いっぽんの線は、平原のはて。もりあがった大きなかたまりが、わたしをめがけてすすんでくる。

『よう……もういくか』

 たましいに、だれかがふれる。ぬぎすてたからだは、だれかの手を、つよく、にぎりしめている。罪がくる。わたしはゆく。
 
 
おわり


このタイミングで二人がどんな会話をしたのかとても興味があるし(何も話せなかったならそれはそれでいい)、ここでアーロンがブラスカさまを呼び捨てにするような出来事があったんじゃないかと妄想していた時代もあった

究極召喚の仕組みを勘違いしてたのでヘンテコな設定にしちゃったけどそのうち理屈をつけます