永遠の旅 - 7/10

7.誇り猫

 

 ふわふわしたものに包まれた気持ちで公園に帰ろうとしていたぼくの前に、どこからかクラウドが飛び降りてきた。

「あ、クラウド!」
「あ、じゃない。こんな時間まで何をしてた」

 気付くと辺りはもう真っ暗だ。本当は猫は夜が大好きだけど、ぼくがお世話になってるきょうだいはあんまり夜に出歩かないから、自然とぼくもそうなった。だからいつもなら、この時間のぼくはクラウドとセシルの間に挟まってるはずなのだ。
 ぼくを見るクラウドの目は相変わらず鋭いけど、今日はぼくを心配してくれてるのがよくわかったから、そんなに怖くない。

「迎えに来てくれたの?」
「ティーダが心配していたからな」

 そうだ、ティーダ……あの後すぐに逃げるように公園を出てきてしまったから、もしかしたら、ぼくが帰ってこないのは自分のせいだって思ってるかもしれない。
 確かに、ちょっと帰りづらかった。幸せだって言うティーダに比べて自分の状況が惨めで、好きな猫と一緒にいられるティーダにぼくの気持ちなんかわかるもんかって思ってたから。でもぼくは、今日という一日の間に、ティーダの言っていたことがほんの少しわかったような気がした。皆がひとつに繋がっているという感覚。だからもしぼくが猫のままだったとしても、それはティナにとってまったく無意味なことじゃないのかもしれないって、ちょっと思ったりしたんだ。
 ぼくはクラウドの後について歩きながら、今日あったことを話した。誰かに話したくて仕方がなかった。胸の中に響き続けるホーリーが、言葉になって溢れ続けるのを止められなかったんだ。
 一通りを話し終えると、クラウドに聞いた。

「ティーダは、傍に人間がいたからぼくは人間になりたいって思ったんじゃないかって言うんだ。それじゃあ、スコールは、人間になってじいさんの傍にいたいって思わなかったのかな?」

 クラウドは少し考えてから言った。

「思わなかったんじゃないか?」
「どうして?」
「じいさんとやらは、人間を求めていなかったんだろう。猫だからじいさんと暮らせて、じいさんの好きな歌を歌えたんだ。スコールは、じいさんが喜んでくれればそれで良かった。そういうことじゃないか?」
「猫だから出来た……」

 人間が人間を求めずに、猫を求めるってことがあるのかな?……あるんだろうな、だから首輪つきの猫がいるんだもの。

「でも、スコールは歌が上手だからじいさんの役に立てた。ぼくはなんの取り柄もない……」
「いてくれるだけで、救われることもある」
「いるだけで、いいの?」
「ああ、いるだけでいいんだ」

 兄弟の棲む公園への曲がり角で、クラウドは足を止めてぼくを見た。

「迷いが消えないなら、フリオニールと話してみるといい」
「え……?」

 ぼくは戸惑った。

「フリオニールと……? 何を話したらいいの?」
「なんでも。おれも、セシルも、ティーダも、どうしたらいいのかわからない時にはいつもフリオニールに相談する。すると悩んでいたことが嘘みたいに消えてしまう。フリオニールは、おれたちよりずっと、世界のことを知っているんだ」

 その時のぼくは、クラウドの力強い言葉を、とてもじゃないけど信じられなかった。
 だけど次の日の昼間、偶然フリオニールと二人きりになる時間があった。クラウドはいつものように勝ちを譲るために戦いに出かけて、ティーダは町にごはんをもらいに行っていた。いつもならずっとセシルがフリオニールの傍にいるんだけど、最近食べるものが少ないからって、すぐそばの池の鯉を狙いに行っている。ここからもなんとか見える距離だから、なにかあったらすぐに戻ってきてくれるはずだ。
 支えるものがなくてくたりとしているフリオニールは、近づいて胸の動くのを見てみないと生きているのかわからないくらい、ぴくりとも動かずに横たわっている。昨日クラウドに言われた言葉を思い出しながら、駄目もとで話しかけてみようかどうしようか、ぼくはベンチのそばをうろうろしていた。
 もう何十日も兄弟と暮らしているけれど、その間、ぼくはフリオニールと一度も話したことがない。なんだか怖かったんだ。何を話したらいいのかよくわからなかったし、変なことを言って傷つけたらやだなと思ったりもしたし、それに、フリオニールは普通と全然違うし……

「……たまねぎ……」

 小さな声で呼ばれて、ぼくはびくりと振り返った。
 ベンチの下で、フリオニールがほんの少し、頭をこちらに向けていた。

「あ……な、なに?」
「なにか……おれに、話があるんじゃないのか……?」
「ど、どうしてそう思うの?」
「さっきから……ずっと行ったり来たりしてる……」
「……見えるの?」
「いや……足音を感じるから……兄さんでもないし、姉さんやティーダでもない……だからたまねぎじゃないかって思ったんだ……」

 ぼくはびっくりして、ベンチの前にすとんと座った。足音なんて、立ててたつもりないのに。

「話したいことっていうか……聞いてみたいこととか、色々、あって……」
「ああ、いいよ。」
「でも、いやなこと聞いちゃうかもしれないし……」
「聞かれていやなことなんて……なにもない」
「じゃあ、聞きたいんだけど……」

 ぼくはごくんと息を飲み込んでから、ゆっくり、言った。

「フリオニールは……普通の猫みたいに生まれたかったって……思わないの?」
「普通の猫って?」
「目が、見えて、耳も鼻もちゃんと使えて、元気に走り回れて……」

 聞いてはいけないことのようで恐る恐る言ったのだけど、フリオニールは変わらない様子で答えた。

「もちろん、思うよ……ティーダがいつも話すお日さまは、どれくらい眩しいのかとか……眩しいって感覚もよくわからないけど……兄さんの戦いの手伝いもしたいし……姉さんの顔も見てみたい……」
「その……出来ること、少ないでしょ? それでいやになっちゃうこととか、ない? 自分が、自分が……」
「役立たずだって、思わないかって……?」

 咄嗟に違うと言いたかったのだけど、言えなかった。本当に思っていたことだから。
 ぼくが黙っていると、フリオニールはよろよろ体を起こし始めた。ぼくは慌てて駆け寄って、いつもセシルがするみたいに体を支えてあげた。フリオニールの体はとてもあったかかった。

「ありがとう……助かった……」
「ううん、あの、さっきのことだけど……答えてくれなくても、いいんだ……」
「なぜ? 聞かれていやなことなんてないって、言っただろ……?」

 フリオニールは見えない目で遠くのなにかをとらえるように頭をもたげて、

「そうだな……見えたらいいとか、思うことはあっても……いやになることは、ないな……」
「……なんで?」
「なんでって言われてもな……確かにおれは、出来ないことが、多い……だけどその代わりに、知ったこともある……たとえば、痛みとか……真っ暗闇の怖さとか……猫の胸の音の速さは皆違うとか……季節が変わると風も変わるとか……とるに足りないことだけど、世界中の猫のうち……そういうことを知ってる猫が一匹くらいいたって、いいんじゃないかと思うし……そのために、かみさまはおれをこういう風に作ったんじゃないかって……そう思うんだ……」
「かみさまの、理由ってこと……?」
「そう……おれは確かに普通の猫でなくて……皆に助けてもらわないと生きていけない……だけど、かみさまがおれを作ったってことは……おれは、なにかしら世界の役に立っているんだ……おれは世界の一部として生きてる……それなら、世界の役に立つことで、おれは……兄さんや、姉さんや、ティーダの役に立ってるんじゃないかって……信じてるんだ……」

 フリオニールの声は弱々しかったけど、とても穏やかだった。
 ぼくはなぜか泣きそうになった。悲しいわけじゃなかった。なんだかすごく安心したんだ。フリオニールが自分は世界の一部だって言った時、それが昨日のバッツの言葉と繋がって、ぴったりぼくの心にはまった。いるだけでいいって、そういうことなの? 生きてるだけで、ぼくは誰かの役に立っているの?

「だけどもしも……役立たずだと思って、兄さんたちがおれを捨てたとして……おれはそんなことは絶対ないと思うけど……それでも、おれは、恨まないよ……悲しくなると思うけど、今までで生かしてくれてありがとうって……そう思いながら、世界にかえるよ……そしてかみさまの理由がまた出来たら……もう一度、皆の役に立つために、生まれて来たい……」
「それでもし、また目が見えなくて、耳も鼻も利かなかったら……?」
「大丈夫だよ……二度目はもっと慣れてるさ……そうしたら、今よりたくさんのことを知ることが出来る……」

 フリオニールは、ぼくのほうにそっと頭を傾けた。

「たまねぎ……おれもお前も、違うところはあっても……同じ猫だろ……?」
「うん。」
「どんな姿になっても……猫に生まれて、皆と出会って……きょうだいの一匹として生きている自分を、おれは誇るよ……決して自分を恥じたりしない……皆に生かされて、皆のために生きる自分を、恥じたりしない……」
「うん……」
「だからたまねぎ……お前も、信じるんだ……大好きなひとのために生きる自分を、信じるんだ……」

 ぼくは、泣きそうなのを堪えた声で言った。

「ぼくが悩んでたこと……知ってたの……?」
「言ったろ……おれは出来ないことが多いけど……代わりに、物知りだってさ……」

 そう言って、フリオニールはぼくの頭を優しく舐めた。ぼくはそれがとても嬉しくて、フリオニールの首筋に頭をすりつけた。
 そして心の中で何度も繰り返した。今までごめんね、ありがとう、ありがとう。
 ねえクラウド、本当だったよ。フリオニールはなんでも知っていて、ぼくの迷いをきれいに消してしまったよ。
 迷いが消えて後に残ったのはただひとつ。
 それは始まりと同じ――ぼくは、誇り高い猫だということ、ただひとつ。