永遠の旅 - 5/10

5.信じる猫

 

「たまねぎ、町に行こう」

 公園の噴水をじっと見つめていたぼくのところに、ティーダがやってきた。ぼくはあんまりそういう気分じゃなかった。

「なんだよ、お前、猫集会から元気がないな」
「……ん……」
「そういう時こそ町で遊ぶんだ。人間から食べものもらう方法、教えてやるよ」

 人間という言葉を聞くと、どうしても御使いさまの言葉を思い出してしまう。人間になるために、ぼくは何を勉強したら良いんだろう。目隠しをされたみたいになんにも見えないし、よく考えられない。
 ぼくが黙っていると、ティーダは噴水の縁のぼくの横に、ぴょんと飛び乗った。

「兄ちゃんから聞いたよ。お前、御使いさまに、人間にしてくれってお願いしたんだってな」

 ぼくは本当に恥ずかしくなった。猫集会にいたたくさんの猫は、ぼくが突拍子もない夢みたいなお願いをして、御使いさまに受け入れられなかったことを知ってる。皆、馬鹿で身のほど知らずの猫だって思ってるんだ。

「……ぼくのこと、馬鹿な猫だって思ってるんだろ……」

 ぼくが目を合わせないようにして言うと、ティーダはわけがわからないというように首を傾げて、

「なんで? おれは、人間になりたいって気持ち、わかるよ」
「そう……なの?」
「ああ。おれはよく町に行くだろ? そこで、おれによくしてくれる人間を見てると思うんだ。人間は楽しい、人間は優しいって。だからおれは、人間が好きだよ。人間になれたら面白いだろうなって思うけど、おれは猫でいることが気に入ってるから、わざわざ人間になろうとしないだけ」
「人間が、好き?」
「ああ、好きだ」

 なんのためらいもなく、ティーダは言った。でもぼくはその言葉を信じることが出来なかった。

「……でも、人間はひどいことをするよね」
「たとえば?」
「フリオニールや、セシルに石を投げたり……それでも、優しいって言えるの?」
「お前、人間になりたいってくせに、人間を悪く言うのか?」
「……なんだか、よくわかんなくなっちゃったんだ……ぼくは人間になりたくて旅に出た。それ以外のことは考えてもいなかった。だけど御使いさまに、人間になる意味がよくわかってるのかって言われたら……よくわかってなかったんだ。今もよくわからない。深く考えてなかったんだ、ただ、人間になればティナの傍にいれるってただそれだけで……それに、人間が猫にしたひどいことを聞いたりしてるうちに、ぼくが目指しているものが、すごく悪いもののような気がしてきて……」
「お前の好きな女の子も人間だろ? 石を投げるのも人間、おいしいものをくれるのも人間だ。おれたちの毛皮の色が皆違うように、人間にもいろいろいるんだ」
「ぼくには……優しくしてくれる人間が、石を投げる人間と同じ人間だなんて思えない……」
「そうだなあ……これは姉ちゃんが言ってたことだけど……」

 ティーダは、噴水の水面に浮かんだ葉っぱを爪先でつっつきながら言った。

「猫も人間も、じっと見つめれば相手のことがわかるんだって。だから姉ちゃんは、石を投げられたら、じっと相手の目を見てみるんだって。それでわかったのは、石を投げる人間は面白がっているように見えるけど、本当は面白くなんかない。悲しかったり、さびしかったりするから、その気持ちを忘れたくてわざとおれらにつらいことをするんだってさ」
「なんで、ぼくらがつらい目にあわされなくちゃならないの? 人間のことは、ぼくらに関係のないことじゃない」
「それはそうなんだけど、ぜんぶが関係ないっていうのはちょっと違うかな……おれたちだって、むしゃくしゃしたら木を引っ掻いたりするだろ? そういう時、きっと木は、なんでって思ってるはずなんだ。おれたちも人間も皆、誰かを傷つけなきゃ生きていけないんだよな。知らないうちに誰かに甘えてるんだ。でもそれはしょうがないんだ。だっておれたちは皆繋がってるんだから」
「繋がってるって、どういうこと?」
「うーん、言葉じゃうまく説明出来ないな。感覚だからさ。お前だってわかるだろ?」
「ぼくは、よくわかんない……」
「そうか、お前は生まれてすぐに人間と暮らしはじめたから……人間は、生きものの中で一番、いろんなことを忘れた生きものなんだって」

 皆、繋がっている……ぼくにはその感覚がよくわからない。もしかしたら、御使いさまが言った“ぼくの知るべきこと”は、その感覚なんだろうか? 人間になったら知ることが出来ないから?
 ぼくはそんなことを頭のどこかで考えながら、

「ねえ、ティーダ」
「うん?」
「ティーダは人間が好きだって言ったけど、人間になろうとは思わないんだよね」
「ああ、猫でいたいな」
「でも、ぼくは猫を捨てても人間になりたいって思った。どうしてだろう。ティーダとぼくは、何が違うんだろう」
「うーん……」

 ティーダは水に手を突っ込むのを止めて、じっと考え込んだ。

「……それは多分、傍に誰がいたかの違いじゃないか?」
「誰が……?」
「お前が一番大事なのは人間の女の子だろ? おれは人間が好きだけど、それとは比べものにならないくらい兄ちゃんたちが好きだ。もし人間になってしまったら、兄ちゃんたちとは暮らせない。時間の流れが変わっちゃうからさ」
「どういうこと?」
「人間は百年生きる。猫は、二十年生きればいいほうだ。おれはさびしんぼうだから、兄ちゃんたちがいなくなって何十年なんて、きっと耐えられないよ」
「あ……」

 ぼくの胸の音が大きく飛び跳ねた。
 ぼくは生まれたばかりで、そして守られて暮らしていて、一度も考えたことがなかった。
 ……そうだ、もし猫のままでいたら、ぼくは、ティナより先に死んでしまうんだ。

「たとえ兄ちゃんたちがいなくなっても、どこかでずっと繋がってると信じればやっていけるとは思うよ。でも、そんな悲しいことに耐えるくらいなら、おれは人間になんかならなくていい。おれは猫でいることにひとつの不満もない。兄ちゃんと姉ちゃんとフリ兄は、おれの誇りだ。その兄ちゃんたちと一緒にいられることが、おれにとっての一番幸せなことなんだ」

 力強いティーダの言葉を聞いていたぼくの口から、勝手に言葉がこぼれ出た。

「それじゃあ、ぼくは……?」
「え?」
「もし人間になれなかったら、ぼくはどうすればいいの……?」

 一度溢れてしまったら、もう止まらなかった。

「ティナと一緒にいられないだけじゃない、ティナより先に死んでしまうぼくは、どうすればいいの……?」
「それは……」

 ティーダは言葉をなくしたみたいに黙り込んで、ぼくから視線を逸らした。
 真っ暗闇に突き落とされたみたいに苦しい。息をするだけで胸が痛い。ぼくは悲しくて、悲しくて、ティーダを困らせるとわかっていながら何度も繰り返し聞いた。
 ねえ、ティーダ……ぼくは、どうしたらいいの?