永遠の旅 - 3/10

3.きょうだい猫

 

 ぼくが連れて行かれたのは、ある大きな公園だった。そこの隅の目立たないところ、ぼろぼろで壊れかかった木のベンチの下に、二匹の猫がいた。片方の猫が寝そべってもう片方の猫を寄りかからせ、その頭や背中を舐めている。二匹ともお月さま色の毛皮を持っていたけど、土ぼこりに塗れて汚れていて、あんまり綺麗ではなかった。
 近くまで寄ってみて、ぼくはぎょっとした。力なく寄りかかっている猫は、目がくしゃくしゃにくっついていて、鼻もぐずぐずさせていた。ぼくはそんな風になったことがないから、なんだか怖い。
 ぼくらが近づくと、もう一匹を舐めていた猫が顔を上げた。毛並みは汚れてぱさぱさだけれど、顔立ちはすっとしていて美猫だった。

「よう、セシル」

 バッツが挨拶すると、お月さま猫も答えた。

「こんにちは、バッツ。今日は可愛いお友達を連れてるね」
「ああ、こいつは……」

 そこでバッツは言葉を止めて、ぼくに聞いた。

「お前の名前、聞いてなかった」
「ぼくの名前は、たまねぎ、だ」
「たまねぎ、か。変わった名前だな」
「ティナがつけてくれた名前だ!」
「わかったわかった、良い名前だ」

 毛を逆立てるぼくと宥めるバッツを見ながら、セシルと呼ばれた女のお月さま猫はくすくす笑った。ぼくはなんだか恥ずかしくなった。女のひとならティナで慣れてるけど、女の猫だと、ぼくのいなくなったママはこんな感じだったのかななんて思って、まともに見れなくなってしまう。
 目を逸らしたぼくは、また寄りかかっているほうの猫を見てしまった。さっきから全然喋らないけど、セシルが頭をひと舐めすると、鼻の先がぴくぴく動いた。
 バッツが言った。

「それじゃあ、たまねぎ、紹介するぜ。右側の美猫はセシル、左側は弟のフリオニールだ」
「よろしく、たまねぎちゃん」

 ティナが「可愛いたまねぎちゃん」と呼ぶのと同じ感じで、セシルはぼくを呼んだ。ぼくはどぎまぎしながら、なんとかよろしくを言った。
 頭を下げた時に、ぼくはセシルの前足に傷があるのに気付いた。よく見ると、汚れた毛皮のところどころにも同じような傷跡が見える。

「足のけが、どうしたの?」

 ぼくが聞くと、今までじっとしていたもう一匹……弟のフリオニールが弱弱しく頭を上げた。

「姉……さん……また、石……投げられたの……?」
「うん、でも大丈夫。小さいのだったから、痛くなかったよ」

 声を潜めて、ぼくはバッツに聞いた。

「誰が、石なんか、投げるの?」
「人間だよ」
「なんで?」
「フリオニールが普通の猫と違うからさ」

 どきりとした。

「なんで……普通と違うの……?」
「生まれつき体が弱いんだ。目は開かないし、耳も良くない。鼻も利かない。そんな弟を庇ってセシルも逃げないから、皆面白がって石を投げるんだ。」
「なんで、面白いの……?」
「さあ、おれにもわからないよ」

 信じられない、人間が、ぼくらに石を投げるだなんて。ティナ、どうしてなの? ティナもフリオニールを見たら、逃げないセシルを見たら石を投げるの? もしぼくの目があんな風にくしゃくしゃで、鼻もぐずぐずいっていたら、ぎゅってする代わりに、石を投げるの?
 ぼくは頭の中がぐるぐるしてしまって、その場にうずくまって動けなくなってしまった。バッツはこのことをぼくに教えたかったんだろうか? 人間になろうだなんてどうしようもないって、思い知らせたかったの?

「たまねぎちゃん、どうしたの? どこか具合が悪いなら、こっちにおいで。痛いところ、舐めてあげるから」

 セシルがぼくを呼んだ。ぼくは行かなかった。胸の奥のほうが痛いけど、舐めてもらえないところだったから。
 ぼくが落ち込んで俯いている間に、どこからかまた別の猫が近づいて来ていた。ぼくが気付いた時には、そいつはセシルに顔を摺り寄せているところだった。やっぱり薄汚れたお日さま色の猫で、セシルは兄さんと呼んだ。

「……すまない……駄目だった……」

 お日さま猫はがっかりした声で言った。見ると、体中に引っ掻き傷があって、ところどころ毛皮も毟れていた。

「マンションの辺りを縄張りに出来れば、もう少し楽が出来るのに……」
「大丈夫だよ、またスズメを取ってくるから」
「すまない……」
「いいよ、兄さんが無事なら」

 セシルに傷を舐めてもらっているお日さま猫に、ぼくは聞いた。

「マンションってなに? なんで縄張りにしたいの……?」

 お日さま猫は振り返って、ぼくとバッツを睨みつけた。すごい迫力だったから、ぼくは震え上がってバッツの陰に隠れた。

「その首輪つきのチビはなんだ? バッツ」
「ちょっとした知り合い。御使いさまに会いたいってんで猫集会に連れて行きたいんだけど、それまでここで預かってもらえないかと思ってさ」
「お前の知り合いなら、お前が面倒看ればいいじゃないか」
「そうしたいのはやまやまだけど、おれは宿無しだし、こいつはわけありだ。猫としての生き方ってやつを、お前たちきょうだいから教えてやって欲しいんだ」

 え、ちょっと待って。この猫と一緒に満月の夜まで暮らすってこと? ぼくは恐る恐るお日さま猫を見た。セシルは優しい目をしてるのに、お日さま猫はずっと鋭い目をしてる。悪いことをしたつもりはないのに怒られた気になって、ぼくは小さく縮こまって震えた。
 だけどお日さま猫は、怒ったりしないで、ぼくのさっきの質問に答えてくれた。

「……マンションは、人間がたくさん住んでいる建物だ」
「“あぱーと”みたいな?」
「ああ。アパートよりはもっと大きくて、住んでいる人間も多い。そういうところのごみ捨て場は、格好の食事場なんだ」
「なんで、ごみ捨て場でご飯を食べるの……?」
「……こいつは、とんだ箱入りだな」

 お日さま猫は呆れたように言った。

「言ったろ、わけありだって」
「まあいい……人間はごみと一緒に食べ物を良く捨てる。それを見つけて食べるんだ。人が多いところなら、その分食べられるものも多い。だがこの近くのマンションは既に他の猫の縄張りで近づかせてもらえないから、やむなく……」
「戦って、負けちゃったの?」
「…………」

 ぐっと黙り込んでしまったお日さま猫の代わりに、明るい声が答えてくれた。

「兄ちゃんは、勝ちを譲ってやっただけだよ。な?」

 ぼくの目の前に、ひらりと何かが飛び込んできた。それは、お日さま猫と同じ色の毛並みの、お日さま猫よりちょっとだけ小さなお日さま猫だった。小さいほうのお日さま猫は、大きいお日さま猫とセシルとフリオニールに顔を摺り寄せてから、くわえていた何かをフリオニールの前に置いた。

「チーズを貰ってきたんだけど、フリ兄、食べれるかな」
「どうだろう、フリオニール、食べられる?」
「……少し……」

 なんとかフリオニールが頭を起こすと、小さいお日さま猫は鼻先でチーズを押して、フリオニールの口元まで転がしていった。そうか、目が見えないし鼻が利かないから、自分じゃ食べ物の位置がわからないんだ。
 そうしてフリオニールがもそもそと食べ始めると、小さいお日さま猫はくるりと振り向いて、大きいお日さま猫とは全然違う丸っこい目でぼくらをきょろきょろ見回した。

「で、こいつは誰なの?」
「おれの知り合いだよ。お前たちのところで、少し面倒看てもらえないかって思ってさ」
「へえ、じゃあおれの弟分ってわけだ。」
「あの……」

 ぼくはつい、口を挟んでしまった。

「嫌じゃないの?」
「なにが?」
「いきなり来て、面倒看ろって……」
「だって、バッツがそうしたほうがいいって思うんだろ? なら、おれたちがいいとか悪いとか決める問題じゃないじゃん」
「え、そうなの……?」

 びっくりして振り返って見たバッツは、涼しい顔して背筋を伸ばしている。バッツはぼくが初めて出会った猫だけど、特別変わったところがあるわけでもないし、どこにでもいるような普通の猫なんだろうって思ってた。
 だけどもしかして、凄い猫なの? 皆が一目置くような?
 バッツはそんなぼくのどきどきを知ってか知らずか、大口開けてあくびをしたかと思うと、鼻をむずむずさせて「へぷしっ」とくしゃみをして、その音に驚いて頭を振っていた。どこにでもいるような、普通の猫だった。