幸福な人生

 さして空気が冷えているわけでもないのに、妙に寒々しい。死んだ大地が広がり、どこまでも灰色の雲が続く、その風景のせいなのかもしれない。
 先程まで隣で熱心に喋っていたティーダは、クラウドの反応が芳しくないことに呆れたのか、いつの間にかどこかへ行ってしまった。ジタンとひそひそ話している声が聞こえるから、おそらくスコールを伴って、その辺りにいるのだろう。
 少し離れた場所では、セシルがオニオンナイトに丁寧に剣の稽古をつけている。傍の岩に座り、口を出すというわけでもなく、ティナがそれをじっと見守っていた。

「あんまりティーダに心配かけるんじゃないよ」

 この状況で話しかけてくるのは一人しかいない。クラウドはわざわざ振り返らずに答えた。

「なんのことだ」
「あいつは、あんたの上の空の理由に気づいてるわけじゃないよ。筋金入りのぶっきらぼうを見抜くだけの力はないからね。ただ、人の心の痛みには誰より敏感だ。理由はわからずとも、そばにいたくなるんだ」
「俺は別に」
「傷ついちゃいない、だろ? そうはいかないぜ。俺には人の痛みはさっぱりわからんが、人が隠したがってることはよく見えるんだ。それで、何があった?」
「…………」
「ただでさえこんなときだ。あんたがいつまでもそういう顔をしてると、仲間たちの士気に関わるんでね」

 立てた膝を抱えて黙り込むクラウドの隣に、バッツは並んで座った。足元に転がる火の魔石に魔力を注いだのは、寒いからというよりも、この場に漂う虚無感を埋めたいと願うからだろう。
 ……わざわざ仲間に打ち明けるようなことではなかった。誰にも言うつもりはなかった。だから、ティーダが何か聞きたがっているのを知りながら、ぼんやり相づちを打っていた。
 今だって、話そうと思ったわけではない。だけれどバッツといると、自分を覆うかたい殻が剥がれ、ありのままを晒してよいような気がしてくる。特別な存在感があるわけではないのに、人の心の隙間にすっと入り込んで、その苦悩を掬い上げる。それが彼の持つ不思議な力だった。

「……昔」

 魔石がぱちりとはぜる音を聞き、クラウドはようやく口を開いた。

「まだ、一番目があったころ。よくこうして、焚き火を囲んだな」
「ああ、そうだな」
「お前がどこからか竪琴を取り出してきて、やたらと景気よく弾き始めて」
「そうそう。フリオニールは踊りが得意で、最初は恥ずかしがってたけど、けしかけられて即興で振りをつけてたな。見事だった」
「そのうちジタンが加わって賑やかになった」
「あいつは誰かをやる気にさせたり、何かを教えたりするのが上手いんだ。嫌がってたはずのオニオンナイトや、踊りかたがわからないって躊躇うティナも、いつの間にか輪の中に入ってた。意外なのはティーダだよ。あのスコールでさえ、吹っ切れると立派にステップ踏んでみせたのに、踊りなんて無理だって尻込みしてた。クラウドも踊ってないじゃないかって、あんたを盾にしてさ」
「そうだったな」
「あんたも頑として譲らなかったけど、さすがに付き合いの悪さを気にしたのか、歌くらいならいいって、ぽつぽつ歌ってくれた。それがまた、空気読まずにしんみりした曲で」
「……あの歌しか咄嗟に思い出せなかったんだ」
「でも、なんだか懐かしかったよ。知らない歌のはずなのに、おれも自然と指が動いた。みんな踊りをやめて、あんたの歌を聴いていたっけ……メロディが終わると、セシルが歌声を誉めて、ウォーリアオブライトが、どこかで聴いたことがある気がすると言った。記憶がないはずのあの人が。それを喜んで、もう一度歌ってとセシルが言った」
「…………」

 そのときの光景はすぐに瞼の裏に浮かぶのに、どんよりくすんだ色をしていて、遠い日の出来事のようだった。事実、遠い日の出来事なのだ。一番目が失われたのは、もうずいぶん昔のことだった。
 あのころだって、ウォーリアオブライトは一人で戦っていた。だが彼は痛みや苦しみを表に出すことがなかったから、漠然と平和がそこにあるような気がしていた。彼がいなくなって初めて、その平和がかりそめであったこと、平穏など一瞬で崩れ去るものだということを知った。
 それからというもの、仲間たちは大きな声を上げることがなくなった。後ろめたさを胸に、背中を丸めてぼそぼそと話した。フリオニールだけがそれまで通り、はにかむように笑っていた。注目されることが苦手で、いつも誰かの一歩後ろで、仲間たちを眩しそうに眺めていた。

「フリオニールは仕合わせだ、と……」
「うん」
「セシルが言った。あいつのなきがらを埋めて、二番目を去るときに。俺が聞いていたことにすぐに気づいて、ティーダやジタンには言わないでと頼まれた」
「あいつらに理解してもらうのは、ちいとばかり難しいかもな」
「……その後に、僕は不仕合わせだと、ぽつりと言った」
「でも、どうにもならない」
「ああ……どうにもならない」

 オニオンナイトが、剣の柄を指差して何かを尋ねている。正しい持ち方を改めて確かめているようだ。セシルは身を屈め、やさしく教えていた。
 彼はいつでも微笑んでいる。この壊れた世界が嘘のように。なのに、その胸の内には燃えさかる炎を宿す。やさしさとうつくしさに隠された激しさ、凛々しくも冷たいこころ。彼の独白の終わりは、「ごめんね」だった。
 それは明らかに、クラウドに向けられた言葉だった。口止めを詫びるわけではない。何も告げぬうちに、彼は突き放したのだ。まだ育たぬうちに。戦う理由にならぬうちに。

「あんたにとって、それは絶望的な言葉だったのかもしれないけど」

 バッツもまた、離れた場所で剣を打ち合う彼らを何気なく眺めている。

「言われただけいいさ。どんなに呼びかけても聞こえない、振り返りさえしない。おれはここにいるのにな」
「…………」
「力のなさを呪うころには、もうすべて終わってるんだ」

 そのとき、自分の体に見えない圧力がかかるのを感じた。押し潰されるような、引き伸ばされるような、また、腹がめくれて外に開いてゆくような。
 急速に霞み始める視界の中で、セシルがオニオンナイトの肩に手を置いた。オニオンナイトは強い光をその瞳に浮かべ、セシルを見上げて頷いた。遠ざかる景色に、こだまのように、バッツの吐き捨てる声が響く。

「ほらまた、神様を憎む時間がやってきた」

 いつも、真っ先に駆けつけたいと願いながら……それは地形の関係で無理だとわかってはいたけれど……気が咎めて、十番目のティーダよりもずっと後に、その場所に辿り着いていた。
 逸る気持ちをその都度打ちのめすのは、あのときの「ごめんね」だ。それでも、こっそり彼の手当てをするのはクラウドの役目だった。彼は自分の傷を他の誰かに見せたがらなかった。いつでもよく笑い、胸の闇をひた隠していた。
 その日(という言葉を使うのが正しいのかどうか)、境界の位置が変わったことに、誰もが気づいていた。しかしクラウドは、いつものように、最後にそこに着いた。彼が隠そうとしてくれたことを自分から暴いてはならないと思ったからだ。後になって、そんな意地を張らなければよかったと悔いた。もし一番に駆けつけていたなら、僅かな時間であっても、彼の温もりに触れることができたかもしれないのに。

「なんで……なにも言ってくれなかったんだよ……っ!」

 ティーダがなきがらにすがりつき、ぼろぼろと涙をこぼして泣いた。ティーダは仲間たちの感情だった。ティーダが笑い、ティーダが泣くことで、世界に狂わされ、失いかけたそれぞれの想いが正しく機能するのだ。これは悲しみのシーン、悲しんでもよいのだと、許される気がした。
 だから、みな悲しんでいる。クラウドもまた。あくまで他の仲間たちと同じ程度、それ以上のなにかがあることを、決して覚られないように。
 項垂れるティーダの傍らに歩み寄り、なきがらが携えていたナイフを手に取って、バッツが無感情に言った。

「セシルは馬鹿だ」

 ティーダがはっと振り返り、確かな非難の眼差しでバッツを見た。

「フリオニールも、オニオンも馬鹿だ。命を失う前に、逃げ出せばよかったんだ」
「そんな言い方ないだろ……!」
「おれは言いなりにはならない。絶対に」

 そうして踵を返し、バッツは五番目に戻って行った。弔いさえ口にしなかった。
 彼の振る舞いは、仲間への情に欠けていると取られても仕方がない。それでもクラウドは、彼を責められなかった。想いは同じだ、できることなら逃げてほしかった。だけれど同時に、そうするはずがないともわかっていた。
 仲間を守りたかった、やさしいフリオニール。最後まで諦めなかった、誇り高いオニオンナイト。
 そして、誰よりうつくしいセシル。誰よりも苛烈なこころを持つセシル。世界のルールも、人としてのまっとうな感情も、彼を捕らえることはできなかった。彼は自分の意志のままに生き、意志のままに死んだ。彼は自由だった。たった一点の光を見つめ、焦がれる自分を受け入れて死んだ。
 彼が思うがままに自分の最期を決めたことを、仲間たちは悲しみ悔いるだろうけれど、クラウドは胸のどこかで安堵していた。彼の不仕合わせは、これで絶えたのだ。もう、青く死んだ地平線をせつなく眺めることもない。取り戻せぬ日を懐かしみ、微笑みの陰に闇を募らせることもない。
 葬列のように押し黙り、仲間たちが五番目へと逃れてゆく中で、クラウドは最後までその傍らに屈んでいた。誰よりうつくしいセシル。急速に腐り、死んでゆく四番目において、なおも輝くセシル。

「セシル」

 添える花はない。胸の上に銀色の剣を握らせて、クラウドは呟いた。

「……俺は、不仕合わせだ」

 世界はかろうじて続いている。望んだ通りではなく。しかしクラウドには、彼のように最期を選ぶほどの勇気はない。感情のままに逃げ出すほどの臆病でもない。いつも理由に縛られて、人としての正しさから逸脱することはできない。だからこそ、彼に惹かれた。そのうつくしさよりも、自らに正直で、縛られない高潔なたましいに惹かれた。彼を見つめていると、同じ場所から動き出せない自分が、ふわりと軽くなって飛び出してゆける気がした。
 でも、彼はもういない。その残像だけをこの目に宿して、いくらか残された生を辿る。世界の終わりの少し前、この身に終わりがくるときに、ようやく解放されるだろう。彼を守ることができず、彼の思い出に縛られて順番を待つ、この不仕合わせから。
 ただ、ほんとうは、彼の前でありたかった。もう届かない。
 
 
おわり