目覚め

 どこまでも草一本生えない、荒地を望む丘の上で、フリオニールは槍を抱きかかえている。すぐそこまで迫る闇の土地を食い止めているのは紛れもなくこの男で、それが女神の槍と呼ばれる所以だった。
 まだ距離があったのに、オレが近づく気配を察してフリオニールは顔を上げた。

「ティーダか」
「ティーダだよ」
「お前は十番目を守ってるんだ、こんなところに来るな」
「誰かさんのお陰で、十番目は平和だ。そんなこと、知ってるくせに」

 草が生えないのは、何も闇が迫っているからじゃない。この世界は既に荒廃しきっていて、女神の領域も、カオスの領域もどこも同じような景色なのだ。ただ違うのは、カオスの持つ激しい炎に焦がされて死んだ大地が、徐々に広がりつつあるというだけで。
 一番目のウォーリア・オブ・ライトが消えるまでは、闇の広がりを食い止めるのはあの人の役目だった。女神の盾と呼ばれたあの人は、たったひとりで立派にそれを成していた。 あの人がいなくなって、怒涛のようにこちらに雪崩れ込んできた闇のイミテーションをこの場所で迎え撃つのは、二番目のフリオニールの役目になった。
 二番目で止められなかった敵は三番目に、三番目でも歯が立たない敵は四番目に。そうして女神の領域は守られている。だけど、敵が三番目にすり抜けることはない。フリオニールが、傷つき、血を流しながら、一匹たりとも境界線を踏ませないからだ。

「なあ、フリオニール。ひとりでそんなに戦わなくたっていいんだぜ。少しはオレ達にも仕事させろよ」
「俺は、いいんだ。こういうの慣れてるからな」
「慣れてるったって、また腕の傷、増えてる」
「別に深い傷じゃない」

 その小さな傷が、少しずつ少しずつ積もっていって、やがて命を脅かすものになるということをオレ達は知っている。既にフリオニールは、弓を引くだけの腕力を失っている。この前の大進軍のときに腱を傷つけたのだ。中には欠けている指もあって、みんなが気にしないように、フリオニールはいつもその手を背中の後ろに隠していた。
 戦闘のない今でこそ自由に行き来できるけど、いざイミテーションが侵入すれば、オレ達は神様の力で自分の領域に戻される。前線の手助けをしたくてもできない。フリオニールが敵を見逃してくれない限りは、誰も戦えない。
 弓を引けなくなって、いずれは剣も握れなくなるフリオニールを、神様は救ってくれるんだろうか。たぶん、救ってくれないんだろう。神様が力を失くしてしまったから、オレ達みたいに守るものが必要なんだ。
 フリオニールは丘の向こうに迫りくる、青く死んだ大地をじっと見つめている。鋭い眼差しの中で、瞳だけは綺麗に澄んでいた。いつも、フリオニールの瞳はそうだった。戦っても、戦っても、決して濁らない。オレ達は皆、フリオニールのそんな瞳が好きだった。

「俺は、この一線を完璧に守るつもりなんだ」

 フリオニールが言った。

「なあ、フリオニール。あの人は確かに完璧だったけどさ、それはあの人が特別だったからだ。あの人みたいになる必要なんてない」
「違うよ、別に俺は、女神の盾になりたいと思ってるわけじゃない。ただ俺はどうしても、三番目に敵をやりたくないんだよ」
「なんで」
「だって、オニオンはまだ子どもじゃないか。子どもに戦わせるなんて、俺は絶対嫌だ」
「それ、あいつに言ったら絶対怒るぞ」
「いくらでも怒ればいい。何を言われたって、俺の考えは変わらないよ」

 子どもといったって、オレ達とそう離れているわけじゃない。だけど、過去も未来もない混沌とした世界の中、一際小さな体をしたその子どもがいることに確実な時の流れを感じさせられて、オレ達は安心できた。だからオレ達は何度も、順番を変えてくれと祈った。年の順にしよう、子どもを最後にしようって。
 でも神様は受け入れてくれなかった。これは太古の昔から決まった摂理で、変えることはできないって。神様の声は聞こえなかったけど、オレ達は本能で理解した。
 もしも順番が変わっていたら、フリオニールはこんなに傷だらけになることはなかった。もしかしたら一匹ぐらいはお前に任せると言って線を踏ませたかもしれない。それだけでも、オレ達が神様を恨むのに十分な理由だった。
 それなのに、フリオニールは二番目の自分を嘆かない。いつでも誇りとともに、この丘から遠くを眺めているのだ。

「なあ、ティーダ。昔、クラウドが、よく言ってただろ」
「なに?」
「戦う理由はなんだって」
「ああ……うん」
「俺は最近、何をしたいとか、何を目指すとか、そういうのはどうでもよくなってしまったよ。そんな遠い未来や夢よりも、もっと守りたいものがあるんだ。ティーダ」
「……なに?」
「俺は、俺の命が続く限り、この一線を完璧に守るよ。皆のもとに、一点の恐怖も危険もやらないよ。約束する」

 そんな約束いらないなんて言えなかった。それを言わせないほどフリオニールの笑顔は穏やかで、オレは、どうやったってその決意を覆すことができないことを知っていたから。
 それからどのくらいの時間が経っただろう。十番目に戻されていたオレは、自分の体が呪縛から解放されたのと同時に、遠く離れた二番目でフリオニールの命が尽きるのを感じた。二番目に駆けつけると、フリオニールはあの丘で、槍を抱いたまま眠っていた。血を流さないイミテーションの残骸は、フリオニールの流した血で赤く映えていた。
 俺と同じように命の終わりを感じた皆が、いつの間にかフリオニールを囲んでいた。クラウドがフリオニールのそばに膝をついて、今まで俺達を守ってくれてありがとうと言った。それからフリオニールのホルダーからナイフを抜き取って、小さなオニオンナイトに渡した。
 これからは三番目が戦わなくてはならない。誰もが、オニオンが臆病で、敵をたくさん四番目に逃すようなやつだといいと本気で思った。死んだフリオニールが一番願っていたと思う。だけどナイフを受け取ったオニオンの目を見れば、それが叶わぬ願いだってことを受け入れないわけにはいかなかった。 なきがらを十番目に運んで埋めてやろうと、ジタンが言った。一番神様に近くて、まだ平穏な場所だから。
 でもクラウドは答えた。

「フリオニールは、この丘にいることを望むだろう」

 そうしてオレ達は、フリオニールをあの丘に埋めた。それからすぐに、丘は青く死んでいった。
 オニオンはよく頑張った。小さな体で、襲いかかってくるイミテーションと果敢に戦った。フリオニールほどうまくは行かなかったけど、洩れた敵は四番目のセシルが上手に片づけたし、フリオニールが死んでから出方を窺っているのか、大進軍もなかったのが良かった。呪縛からの解放のとき、オニオンの魂の輝きを感じられることがみんな嬉しかった。
 でもあるとき、闇の土地から大きな何かが膨れ上がる気配がして……それはフリオニールが死んだときと同じ気配だった……あっという間にオニオンは消えた。血の一滴も残らない、完全な消滅だった。
 四番目が前線の時期は長かった。セシルは、ばらばらに動いているようで統率の取れているイミテーションの戦略をよく見極め、効率よく戦っていた。 フリオニールやオニオンの働きで、進軍の法則が見えてきたというのもあるらしい。僕が戦えるのは、前の二人のお陰だと言っては笑った。
 クラウドの次に年長のセシルの存在は、オレ達にとって安らぎだった。そんな時間がずっと続けばいいなんて思うくらいに。
 ……ずっと続くはずはなかった。セシルは突然自ら命を絶ってしまった。なきがらを検めると、白銀にきらきら光る綺麗な鎧が、足の方から少しずつ黒く染まりかけていた。闇の気に飲み込まれそうになっていたんだ。
 オレ達は、あんな風にやさしく笑うセシルが背負う苦しみを知らなかった。言葉もなく悔やむ仲間達の中で、バッツだけが素っ気無く言った。

「セシルは、馬鹿だ。フリオニールも、オニオンも馬鹿だ。命を失う前に、逃げ出せばよかったんだ」

 それからは五番目の時期になった。でも、バッツは一切戦わなかった。いつも進軍してくるイミテーションを見逃して、実質戦っているのはティナやクラウドだった。
 命を惜しんでもいい。別に戦わなくたっていい。そう思っていたのは確かだったのに、戦わないバッツを見ていると、無性にいらいらした。フリオニールの瞳や、オニオンの決意や、セシルの微笑みが、全部無駄だったと言われたような気がして。
 後から思えば、バッツのそれは神様への反逆だったのかもしれない。自分の為に戦わせ、失われていく仲間を誰一人として助けてくれなかった、神様への反逆。
 だけどあるとき、十番目のオレのところまで聞こえてくるようなバッツの笑い声が聞こえた。笑っていながら、泣きたくなるくらい悲しい響きだった。それからすぐにバッツは死んだ。あんなに嫌がっていた剣を握りしめて。
 六番目のティナは、オレ達がオニオンの次に後にしたいと願っていた女の子だった。でも、オレ達の中で一番強い力を持っているのもまた、ティナだった。ティナは膨大な魔力で次々と、度重なる進軍を阻止していた。だけどその頃から、イミテーションの攻撃はますます容赦のないものになっていった。
 ティナは傷を負い、意識を失って倒れているところを後から駆けつけたオレ達に見つけられることが多くなった。順番が変えられないことはもういい。でもせめて、仲間の戦いに力を貸すことぐらいは許してくれ。戦いから遠いところに縛りつけないでくれと、オレ達はもう一度祈った。神様からの答えはなかった。

「いいの、わたし、わかった気がする」

 傷だらけの体を起こしたティナは、不思議と穏やかな顔をしていた。

「わかったって、何が?」
「どうしてみんな、あんなに戦うんだろう、ひとりで敵を押し止めようとするんだろうって、思ってたの。ううん、いのちを落とすのが怖いわけじゃない。でも、自分の死ぬ理由くらい、わかっておきたかったから」
「命を落とすなんて、軽々しく言うな」

 ティナの体を支えていたジタンが、怒ったふうに言った。

「うん、ごめんなさい。でもね、自分が戦う番になってみてわかった。背中に誰かのいのちを感じると、それが誰でもかまわない、守りたいって思ってしまうの。自分の力で守れるのなら、いのち全部使ってもいいって思うくらいに、誰かの存在が嬉しいの」
「……ああ、そうかもしれない。でも、それでティナが死んでも、オレ達は誰一人喜ばないんだぜ」
「そう、だね。そうだよね。わたしも、皆が死んだとき、とても悲しかった」

 そうして遠くを見つめたティナは、自分の持つ力の全てを燃やして津波のような大軍を押し戻し、死んでしまった。
 七番目になった。
 クラウドは俺達のリーダーみたいなものだった。一番年長で、いつも冷静で、ともすれば敵に突っ込んで行ってしまいそうなオレ達をうまく宥めては、的確な道しるべをくれた。 仲間の死のときも、クラウドが静かに祈りの言葉を呟いてくれたから、みんな受け入れることができたのだ。同じだけつらかった、同じだけ悲しかったはずなのに、いつでも感情を飲み込んで、大人でいてくれた。それは全部、オレ達のためだ。
 自分の番になってまもなく、クラウドは残ったオレ達を呼び寄せた。

「敵の軍勢はどんどん膨れ上がり、最前線のひとりでは食い止めることができない規模になってきた。しかし俺達の順番は変えられない。だから、一番前にいるやつの体力と後衛の能力とをよく照らし合わせて、敵を分配する戦法にシフトすべきだ。だが、最後の砦のティーダは敵を逃がすことはできない。可能ならその前までで片をつけるか、確実に仕留められると思われる敵だけを素通りさせるようにしなければならない。その見極めは、ジタン、お前がするんだ」
「責任重大だな」
「誰もが同じように、責任を背負うんだ」
「でも、どうして今、そんな話を?」
「もっと早くすべきだったと、反省している」

 そのとき、オレ達を自分の場所に引き戻す力が働き始めた。オレは何故か胸騒ぎがして、抗うように叫んだ。

「クラウド、ひとりで戦うなよ!」
 場所移動が始まり、霞む視界の中で、クラウドが肩を竦めるのが見えた。
「俺は誰より臆病だ。何も心配することはない」

 その進軍は今までよりずっと長かった。本当に長かった。苛立つままに九番目と十番目を分ける壁を壊そうと、何度も剣で切りつけた。神様の力はびくともしなかった。
 長く長く、果てしなく長い呪縛が終わり、オレ達は七番目に走った。クラウドはたくさんの矢に貫かれて事切れていた。結局クラウドは、ただの一匹も、背中に逃がさなかった。
 リーダーを失ったオレ達は、置き去りにされた子どもみたいに落ち着かなかった。そんなオレ達をジタンは必死に盛り立てようとしていた。クラウドに名指しで後を託されたからだと思う……そう、あれは、クラウドの遺言だったんだ。
 それからしばらくして、また敵の侵略が始まった。スコールの戦い方はよく訓練されていて、危なげのない戦術に、浮き足立っていたオレ達も少し落ち着いた。そうだ、残った三人で力を合わせて、失くした仲間達の意志を継ぐんだ。
 それからまもなく、これまでになかった敵の攻撃が始まった。突然暗い雲が八番目の領域を覆い、毒の雨を降らせたのだ。その術士をなんとか退けてから、スコールは昏倒した。
 じきに意識は取り戻した。代わりにスコールは、少しずつ記憶を失くしていった。はじめに、戦いのことを忘れた。それから、死んだ者のことを忘れて、オレ達のことを忘れて、自分のことを忘れた。
 じわじわと進んでゆく死を見せられるのは、たまらなかった。でもどうしようもなくて、返事が返ってこないことをわかっていても、名前を呼ばずにはいられなかった。
 記憶のある場所が少しずつ浄化されていって、抑えつけるものがなくなったからだろうか。スコールは死の瞬間、突如我に返り、今の今までずっと忘れていたある重大な記憶を取り戻した。
 オレ達にはその言葉の意味がわからなかった。だけどスコールは苦痛の中の最期の息で、確かにこう叫んだ。

「ウォーリア・オブ・ライトは、いなかった!」
 
 
 
「なに考えてる?」

 声をかけてから、かつて八番目であった青い大地を眺め考え込んでいるジタンの横に座った。
 スコールが死んだのち、この世界は小康状態だった。二人きりになってしまった寂しさを紛らわすために、オレ達は大声で笑い、子どもみたいに馬鹿な遊びをして過ごした。 だけどそれが途切れると、ふと色んな想いが頭の中を行き交うのだ。

「……スコールのこと?」
「ああ、あれはどういう意味なんだろうってな」
「やっぱり、意識が混乱してたってわけじゃないのかな」
「そうかもしれないけど、オレは、最期のあいつは自分を取り戻していたって思ってやりたいんだ。それに……」
「それに?」
「ティーダ、お前、ウォーリア・オブ・ライトがいなくなったときのこと、覚えてるか?」

 もちろんと言いかけて、オレはぎょっとした。ウォーリア・オブ・ライトはいたはずだ。あの人がいなくなったから、二番目のフリオニールが境界線を守ることになったのだ。それなのに、あの人が消えたのがいつなのか、どんなふうに消えたのか、まったく思い出せない。
 オレの顔からそれを読み取ったらしく、ジタンは頷いた。

「オレもだ、覚えてねーんだ。ウォーリア・オブ・ライトという男がいて、それがオレ達の一番目を守っていたことを知っているのに、そこから記憶がぽっと抜けて、気づいたときにはフリオニールが戦うことになってた。誰もそれを疑わなかった。ウォーリア・オブ・ライトの消滅の理由を、それぞれ都合よく頭の中で作り変えていたんだ……それだけじゃない、気になってることがもうひとつある」
「もしかして……バッツのこと?」
「ああ。お前にも聞こえただろ? バッツの最期の笑いを。あいつはほんとは誰より仲間思いだったよ。だから、みんなが死んでいくしかないこの世界の仕組みを恨んでた。どうにかしてそれを突き破れないかといつも考えてた。あいつは……あいつは、最期に何か途方もないことに気づいたんじゃないか? そしてそれがどうにもならないと知って、絶望のために笑ったんじゃないか?」
「でも、どうにもならないんじゃ、考えたって無駄じゃないか」
「馬鹿なこと言うな、そんなの、どうせ死ぬなら生きていても無駄だってのと同じだ。考えるんだ、バッツは何に気づいたのか、ウォーリア・オブ・ライトはどこに行ったのか……」

 やがてジタンは溜息をつき、そのまま寝転がって空を見上げた。

「クラウドが生きてりゃなあ。もうちょっと何かに気づいたかもしれねーのに」
「うん……」

 もしかしたら、気づいていたのかもしれない。だけどクラウドは、確証のないことは口にしようとはしなかった。まだ話せる段階でないまま、話す時間を失って、そのままいなくなってしまったのだ。

「……でもさ、ジタン。なんでオレ達、こんなになるまでそのことを考えなかったんだろうな」
「あ?」
「この世界は絶対に狂ってる。それはわかってるのに、なんでオレ達は抜け出そうとしないんだろう。なんで受け入れてんだろう。なんで今まで、何かがおかしいって気づかなかったんだろう」

 オレの言葉に、ジタンははっと体を起こした。

「……今の」
「今?」
「もう一度言ってくれ」
「え、何を?」
「最後の台詞だよ!」
「……なんで今まで、何かがおかしいって気づかなかったんだろう……」

 別に難しい台詞じゃないはずなのに、ジタンは顎に手を当てて深く考え込んでしまった。オレはなんだか、見てはいけない何かを見てしまったときのようにそわそわして、ジタンが戻ってくるのを待っていた。
 しばらくして、ジタンはぽつりと言った。

「……お前、今の台詞、前にオレに言ったこと、あるか?」
「ないよ、オレだって今思いついたんだからさ」
「だよな。でも、オレにはその記憶がある」
「……どういうこと?」
「知るか。だけどオレは、お前と二人でここでこうして並んでいて、お前にさっきの台詞を言われたことが確かにあるんだ」

 そのとき、大きな爆音とともに、九番目の境界をイミテーションが踏みつける気配がした。オレには自分の場所に戻される力が加わった。
ジタンは焦ったように言った。
 
「ティーダ、もしかしたらオレは今回の戦いで、謎を解く手がかりを掴めるかもしれない。でも、それをお前に伝えることは多分できない。だから、合図を出す、必ず出す。それを見つけたら、お前は十番目を捨てて逃げろ!」
「逃げろって……そんなこと出来るはずないだろ!」
「もしお前が死んじまったら、全てがやり直しになっちまうかもしれないんだよ!」
「どういうことだよ、それ」
「説明してる暇はねーんだ、いいな、戦うな。合図を待って、絶対に逃げろ、いいな!」

 必死のジタンの顔が霞んで、消えた。オレは十番目に戻された。
 今まで、戦いはオレから遠く離れたところで起こっていた。十番目はいつだって平穏だった。でも九番目まで迫る進軍は、十番目の大地を揺らして、空気を震わせる。
 その戦いの気配の中で、オレは必死に祈っていた。ジタンは何かを掴むことができるかもしれないと言った。ならそれを、オレに伝えてくれ。生きて、いつもみたいな軽口叩きながら、なんだそんなことだったのかって笑って答えさせてくれ。
 だって、オレは嫌だ、この世界にひとりぼっちなんて、絶対に嫌だ!
 どれほど祈っただろう。オレは泣きながら顔を上げた。遥か遠い九番目がぐんぐん盛り上がったかと思うと、世界を突き破るような勢いで一本の大樹が出現した。草一本も生えない荒地、もうずっと見ることのなかった綺麗なグリーンは、天を目指し、目指し、もう少しで届きそうなぐらいに手を伸ばし、そして届かないまま、呆気なく枯れて、朽ちた。
 それがジタンの合図だった。オレは、咽び泣いて走り出した。がむしゃらに走り、十番目の境界を踏み越えようとして、ふと気づいた。

「……逃げるったってさ、逃げるったって……もうこの世界には、十番目にしか、居場所はないのにな」

 ジタンの命の終わりを感じながら、オレは剣を抱いて、その場に崩れ落ちた。
 ごめん、合図、生かせなくてごめん。せっかくオレに遺してくれた最期の言葉、聞けなくてごめん。 オレは、ここで戦う。居場所がないなら、最期まで戦う。皆の死の上に成り立つこの十番目を、命を懸けて、守るよ。
 
 
 
 一種の確信めいたものを感じ、オレはそいつを待っていた。フリオニールのときも、オニオンのときも……皆の命の終わりに必ずついてきた、あの恐ろしい気配。バッツが何かに気づいて、絶望に笑ったあの気配。
 イミテーションの大群を引き連れて、大剣を従えた鎧の男が十番目の境界を踏んだ。顔全体を覆う兜のせいで表情は見えないが、その気は悲しみを帯びていた。
 オレはゆっくり立ち上がった。鎧の男は立ち止まり、剣を構えた。
 撃ち合いが始まるきっかけがなんだったのか、よく思い出せない。オレは躊躇わずに飛び込んだ。男の大剣はその大きさに見合う威力を持って、オレを吹き飛ばした。でもこれくらい、何てことない。すぐに体勢を立て直して、何度でも攻め込んだ。
 鎧の男は鉄壁の守りを持っていた。どんな角度から、どんなにふいを狙っても、オレの攻撃を完全に防いだ。あれだけの重量があるというのに、それを感じさせない反応速度で剣が返って来る。 攻めあぐねているうちに、オレの中に、違和感にも似た奇妙な感覚が生まれた――この戦いを、オレは知っている。
 それがジタンの言う記憶と同じなのかはわからない、同じかもしれない。この場所、この苦悩の中で、この男と戦ったことがある気がする。
 だけどそれだけじゃない。この戦い方を、オレは知っている。相手の攻撃を完璧に防ぎ、その隙を利用して剣を翻し、一気に相手を叩く。ほんの僅かな平穏に、挑んでは負け、挑んでは負け、ちょっとは手加減しろと文句を言っては、君の修行が足りないのだとにべもなく返すくせに、倒れるオレに手を差し伸べて、怪我はないかと気遣う声……
 あまりの衝撃に、剣を取り落とした。鎧の男の体がふわりと揺らめき、次の瞬間にはオレに向かって突進していた。オレは戦いを知らない子どもみたいな態でそれを避けた。相手の攻撃から、よろよろと情けなく逃げた。とうとう足が縺れて転んだ。鎧の男は見逃さず、一気に距離を詰めて、倒れたオレに剣を振り上げた。オレは意味のない言葉で泣き喚きながら、手に触れた何かを突き出していた。
 それは、オレ達が、大事に、大事に受け継いできた、フリオニールのナイフだった。
 男の持つ大剣が、地面にずしりと突き刺さった。小さなナイフの切っ先は、鎧の継ぎ目を貫き、男の胸に突き刺さっていた。 ずるずると崩れた男を仰向けに転がして、兜に手をかけた。知りたくない、見たくない。でも、知らなくちゃならない。
 兜を剥ぎ取ると、その下には、オレが、みんなが、心の底から尊敬し、信頼していたウォーリア・オブ・ライトの顔があった。

「なんで……」

 震えながら呟くと、そっと瞼が開かれた。
 
「それが、運命だからだ」
「運命って、なんだよ……運命ってなんだよ! 仲間を裏切って、カオスの手先になって、仲間を殺して! あんたはただの裏切り者だ!」
「違う」
「違わない!」
「……君は、十番目の後ろを、振り向いたことがないのか?」
「わけのわからないことを言うな!」
「振り向いてみたことが、ないのか?」

 オレは言葉に詰まった。十番目にいながら、そいつの言う通り、振り返ったことがなかったのだ。

「振り返ってみろ」
「そんなことに意味はない!」
「振り返ってみなさい、ティーダ」

 オレを惑わしてここから逃げる言葉だってわかってる。わかってるのに、そいつの顔が悔しいぐらいにやさしくて、それでいて哀れむようで、オレは抗えなかった。
 歯を食いしばりながら振り返り、愕然とした。オレの後ろ、神様がいるはずの玉座には、誰もいなかったのだ。

「……な、んで……」
「神など、いない。はじめからまやかしだった」
「だって、じゃあ、オレ達は何のために戦って……」
「何故なのかはわからない。この世界の創造者が戦いが続くことを望むから、私たちは戦わせられている。理由として与えられたのが、神だ。私達は生まれたときから神に縛られているのだ」
「でも、あんたは……あんたはオレ達の仲間だった……」
「君達の仲間だ。だがそれと同時に敵でもある」
「どういうことなんだよ、わかるように、ちゃんと説明してくれよ……」
「戦いには敵が必要だ。雑兵としてのイミテーションの他に、それらを統率するものがいる。戦いの駒として私達十人が選ばれた後、その中から一人が敵として据えられた。それが最初のカオスだった。カオスに据えられた者は、イミテーションを引き連れ女神の領域に攻め込む。それを一番目に迎え撃つのが私だ。私の力でカオスを倒せることもあれば、私が力尽きた後、誰かが倒すこともあった」
「ちょっと待てよ、力尽きるって……?」
「私たちの戦いは繰り返されているのだ、ティーダ。カオスが女神の玉座に辿り着けば、私達はみな蘇生され、カオスの位置は一番目に戻される。そしてまた、同じ戦いが始まる」

 そのとき瞼に浮かんでいたのは、あの丘から遠くを見つめるフリオニールの澄んだ瞳だった。この荒んだ世界にある、一番綺麗なもののひとつ。
 フリオニールはあの瞳で、何度、オレ達を守ると言ったんだろう。何度、死の恐怖に晒されて、何度、それを諦めただろう。
 なんて身勝手な。玩具みたいに戦わせて、玩具みたいに殺して、玩具みたいに作り直して。オレ達は意志を持って生きている。喜びだって、恐怖だってある。人を愛したりもする、それなのに!

「もしもカオスが倒されたならば、今度はその倒した者がカオスに挿げ替えられる。七度前、私が倒したカオスはティナだった。カオスになると、己の中の悪が具現化した姿に変わる。私の影が拒絶を表す鎧であるように、ティナの影は道化の姿をしていた」
「七度も、前から、あんたはカオスだったのか……?」
「そうだ、私は七度前から、ずっとカオスだった」
「……バッツはあんたの正体に気づいたんだな?」
「彼は、人の戦い方やちょっとした仕草を模倣するのが得意だった。顔を隠していても、私の癖を見抜いたらしい」
「スコールが、ウォーリア・オブ・ライトはいなかったって言ったのは……」
「今回の生では、私ははじめからこちら側にいなかった」
「あんたは……あんたは七度も仲間を殺し続けて、それで、良かったのか……? なんで止めようとしなかった? なんでこの世界を壊そうとしなかったんだ……!」

 ウォーリア・オブ・ライトはきつく目を閉じて、言った。

「……それが、摂理だからだ」
「摂理がそうだったら、あんたはどんなことでもするのか! あんたは仲間を殺しても、その摂理に従うって言うのか!」

 鎧に爪を立てて激しく揺さぶりながら、オレは心のどこかで気づいていた。
 ウォーリア・オブ・ライトは、仲間を殺して、なんでもないと思うような男じゃなかった。いつでもみんなに尊敬され、信頼される、仲間思いの男だった。一番目で勇敢に戦い、オレ達を守る盾だった。仲間を一人斬りながら、兜の下でどれだけ泣いただろう。
 バッツに癖を見抜かせたのも、スコールの記憶を奪って記憶を思い出させたのも、そしてオレにわざと同じ戦い方をさせたのも、全部気づかせるためだ。 七度も続いた殺戮の生、断ち切りたくて、オレ達を救いたくて、必死にもがいていた。
 オレは相手を責める言葉をたくさん投げつけて、とうとう言い尽くして、鎧の胸に拳を叩きつけて項垂れた。

「……七度も、気づいてやれなくて、ごめん……」
「私は、いいんだ……」
「あんたを殺せなくて、ごめん……」
「いいんだ……」
「でも、間違ってる……こんなの、間違ってる……」
「そう、思うのなら……」

 咳き込むウォーリア・オブ・ライトの口元から、赤い血が一筋流れ出た。

「そう思うのなら……どうか、変えてくれ……私にはできなかった……だが君なら……きっと……」

 死に絶えようとするその体から、黒い靄のような何かが抜け出た。それは音もなくオレの体に入り込み、少しずつ、自分の姿が変えられていくのを感じた。
 手足がかたい鱗に包まれ、今までにない力が溢れてゆく。ウォーリア・オブ・ライトは薄っすら目を開け、オレの姿を見つめた。

「私は、また、忘れてしまう……忘れたくないのに……」
「代わりに、オレが覚えてる」
「忘れないで……くれ……」
「ああ、忘れない」

 声さえも、もう自分のものじゃない。でも心は誰のものでもない。オレだけの、オレだけのものだ。

「必ず、壊すよ。オレがみんなを守るよ。だから安心して、もう眠って……ありがとう、また会おう」

 静かに頷いて、ウォーリア・オブ・ライトは逝った。
 たったひとつの瞬きで、オレは一番目の外側にいた。足元の青い大地を目でなぞってゆくと、それは白く淡く輝く一線で途絶えている。そこから向こうが女神の領域。オレの仲間達が生きる場所だ。
 その光の中に、ウォーリア・オブ・ライトが毅然と佇んでいた。
 オレは真っ直ぐ彼を見据えた。そして、行く。今度こそ、全てを終わらせる為に。
 
 
つづく