回帰

「ワォ、壮観だね。重たそう」

 カーテンの隙間から、エドガーが顔を出す。

「意外と軽いよ、冠以外はね」

 マシアスは、振り返って言った。
 豪華絢爛としか言いようのない、ありったけの宝石で飾り立てられた冠は、」城の資料室に保管されていたのを管理のロビーが掘り起こしてきて、文字の如く三日三晩かけて磨き上げたものだ。(なにしろ前回の陽命祭が行われたのは20年近くも昔のことで、その後前国王の崩御や件の大戦を経て、国宝であるとはいえ保管場所があやふやになり、手入れも疎かになっていたことを誰も責められまい。)
 もちろんきらびやかなのは冠だけではなく、身に着けるもの全てに煌く何かがあしらわれているのは、太陽神の化身の務めならではだ。特に目を引くのは見事な銀糸の刺繍のあるマントで、城一番の縫い子が二月前から精魂こめて縫い上げたもの。仕上がりを一番楽しみにしていたのは王様で、自分が着るわけでもないのに、出来具合を見に毎日足を運ばれたとか。
 そして完成品を前に満足そうに頷きながら、エドガーは弟の周りを一周した。

「うん、いいね。光彩の柄がよく出てる」
「でも、ちょっとモダンじゃない?」
「多少ね。でもお前によく似合うよ。私が着るならもう少しクラシカルな感じがいいかな」
「土台が同じなんだから、俺に似合うなら兄貴にだって似合うだろ」
「そうかね」
「そうさ」

 言って、マシアスは椅子に座り込んだ。まだ儀式までには少し時間があるが、ここまで来るのに大分疲れ果てたようで、深く息を吐きながら背もたれに寄りかかる。冠のせいで頭を真っ直ぐに保つのが難しい、と愚痴も忘れずに。

「父上は、こんなにぐらついてなんかいなかった気がするけどなあ。ピシっとしてさあ、凛々しくて。なんかコツがあるのかな」
「私達が見たのは、父上にとっては三度目の陽命祭だろう? 初めてお務めになったのは私達よりお若い時だったろうから、その時にはもっと苦労されただろうね」
「冠被ってぐらぐら揺れたかな」
「それは、もう」

 ふたりして想像しては、思い切り吹き出す。ああ、記憶の中の父上、笑ってごめんなさい。

「それで? どうしたの? わざわざ俺の姿を笑いに来たわけじゃないだろ?」

 ひとしきり笑ってから、優しくマシアスが切り出す。そんななりをしていると、表情はいつもの人懐っこいそれなのに、どこか泰然としているような気がして不思議だ。
 ああ、と飲み込むように頷き、さりげなく背を向けて、エドガーは言った。

「……ギールのお役目をお前に任せると言った時、お前は嫌がると思ったよ」
「まあ、普通に考えたらそうだろうね」

 祭においての太陽神の役は、あくまで現世での代行者である国王の務め。フィガロの長い歴史の中で、王がその任を降りたなど前代未聞だろう。国王は罰当たりだと騒ぎ立てる神官もいるということは、ふたりの耳にも届いている。

「でもお前は、反対しなかったね」
「俺にも考えるところがあるからね」
「考えるところ?」
「一度市中に降った俺が王室に戻るのを、快く思わない連中がいるだろ?」

 そんなことは、と言いかけるエドガーに、マシアスは手を振って笑いかける。

「隠さなくってもいいんだよ。今や兄貴より、城の内部事情には俺の方が詳しいんだぜ」
「……女中達に随分人気らしいからね」
「そう僻むなよ。外の話をしてやると喜ばれるだけさ。そのお返しに、寝首を掻かれないように忠言をしてもらうこともあってね」
「まさかお前、私が知らないところで、」

 俄かに気色ばむ兄を押し止めるように、慌てて、

「ない、ないよ。今のところは無事だよ。でも放っておけばそのうち、不逞の輩は次々出てくるだろうね」
「……そうならないうちに、手を打たないと。」
「うん。以前の俺なら、短慮に城を出て行こうとしただろうね。あの時みたいに」

 十年とちょっと前、星空の下の出立をいつまでも見送った記憶が蘇る。何か言おうと思って、何も言えずに、エドガーはただ待つばかり。

「あの時は、強くなって戻って来るという目的があったからまだ良かった。多少は頑丈になってこうして帰ってきたから、一応それも果たした。でもここでもう一度逃げたら、今度こそ意味なんて持てない」
「…………」
「それに、町へ降りたことを否定されて、それを認めてしまったら、あの時そうしてくれた兄貴の決断さえも裏切ることになる。俺はそんなの、嫌だよ」

 強い言葉でありながら、声色はどこまでも穏やかだ。十年の間で、マシアスは変わったようでいて、本当に大事なところは変わらない。体が弱くて引っ込み思案で、弟気質の甘えん坊。いつでもそんな風に評されていたけれど、早くから大人に混じって学ぶ兄とは対照的に、弟はいつも、じっと外からそれを見ていた。決断を下す大人達の表情や細かい仕草、苦悩も、喜びも。全てを自分の中に吸収しようと、一挙一動逃さず見つめた。
 もしかしたら私の方がずっと主観的で、マシアスの方がずっと達観しているのかもしれない。エドガーは思う。何故なら彼は、それが裏切りだとは思いもしなかった。
 まるで御伽噺を読むように、マシアスは続けた。

「俺達、双子ってこともあって、生まれた時から色んなことを言われたね。王家に生まれる双子は不吉だ、占い師はこぞって凶兆を見て、その上俺がひ弱だったものだから、俺を殺すか山に捨てるかしようっていう動きもあった」
「お前には、辛い時代だったね」
「辛いって言うより、歯痒かったかな。俺は父上も兄貴も大好きだったよ、なのに毎日入れ替わり立ち替わり聞かされるのは、俺を呪詛する言葉か、逆に父上や兄貴を貶める言葉だ。もうほとんど人間不信だよ。
でも、父上は全てをわかった上で俺を生かしてくれた。今になって、その意味を強く思うよ。間違っても父上は、俺達が別れて生きることを願ってなんかいなかったはずだ」

 そして立ち上がるマシアスを、エドガーは見上げた。不思議なものだ、幼い頃はこんな風に見上げることなどなかったのに。

「俺は王座を奪い取りたいわけじゃないよ。兄貴には兄貴の役割があって、俺には俺の役割がある。でももし、もしもその時が来たら、俺は王の務めを果たすつもりだ。陽命祭を務め上げることで、それが皆にわかってもらえればいいと思う。それでも納得しないわからず屋のことは、またゆっくり考えて行けばいいさ」

 マシアスは笑って、

「俺達にはその時間がある。これからはずっと傍にいることを誓うよ」

 そっと膝を折り、額づいた。
 胸の奥から込み上げる何かを感じながら、エドガーは、立てかけられていた一本の剣を手にした。暗闇を導く宝玉デイニスの填められた、太陽神から授けられたという神剣。
 それを王の手で、もうひとりの代行者へと差し出す。

「……フィガロ国王の名において、マシアス・フィガロに、陽命祭の執行を命ず」

 恭しく受け取る代行者は、作法通り、その柄を額に押し付けた。

「必ずや、ギールの大役を立派に務め上げますことをお約束申し上げます。神と、祖国と、祖先と」

 一度、言葉を切り、

「兄弟の名の下に」

 扉を開けて、人々の歓声に向けて歩きだす背中を、エドガーはじっと見つめていた。
 そうだ、私達には時間がある。離れていた時間よりもずっと、もっと長い、お互いが望むなら永久に続く時間が。そして命の限り、父や、祖先の愛したこの国を守るのだ。
 お前がいるのなら怖くない。私は進む。お前と共に、扉の向こうへ。

 

おわり

2022-01-08